甲子園「完全試合男」松本稔が高校時代から感じていたスパルタ指導の限界「もっと面白く、効率よく」を指導者として実践 (3ページ目)

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika

【科学に基づいた技術指導】

 指導者としての勝負どころは、科学的知見をプラスした技術指導。ブルペンに行けば投手の後ろに立って体の動き、ボールの回転などを見極め、そのうえでその選手がもっとよくなるための投げ方を模索する。腕や軸足、筋肉をどう使ったらいいかなどアドバイスは細やかで、「俺の目は、測定器・ラプソードにも負けません」という気持ちで指導にあたる。

 神頼みもいいけれど、選手のために本当にいいと思うことをやっていきたい。24歳で高校野球の監督になってからは、週1日の練習休みを設け、練習途中での補食の導入など、今や当たり前になったことをいち早く取り入れた。

投手の後ろに立ちフォーム指導をする松本 photo by Sportiva投手の後ろに立ちフォーム指導をする松本 photo by Sportivaこの記事に関連する写真を見る さらに指導者からの一方通行にならないよう、基本は選手自ら考えてやる野球。2023年夏、慶應(神奈川)が選手主体のチームづくりで日本一を勝ちとったが、松本はすでに40年近く前からこれを意識し指導にあたっていたことになる。

「完全試合」を達成したフォームも、自分自身でつくり上げたものだ。当時の田中不二夫監督は1949年に前橋が夏の甲子園に出場した時のエースだが、傍らで松本の様子を見ながらほとんど何も言わなかったという。

「こいつには何も言わないほうがいいだろうと思ってくれたんでしょうね。指導されなかったから自分で思うようにやれたし、少ない球種でいかに打ち取るかを考え、縦、横、斜めの3種類のカーブを生み出すことにもつながった。その先に、甲子園での『松本の3センチ』(前編参照)があったということです」

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