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自称「大阪桐蔭で一番下手だった」男の唯一のエピソード 5年先輩の中田翔を「しょうくん」呼ばわりに同級生は騒然 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tamigami Shiro

 中学生となり鯉城シニアで硬式野球を始めると、順調に成長。3年になるとエースで5番、主将を務めるなどチームの中心選手として活躍。ただ、小柳に当時の力量を振り返ってもらうと、「球速はマックスで125キロぐらい。スカウトが来てくれたのも県内の学校ひとつだけで、今になって思えばショボかったですね」

 しかし、当時はそんなことなど1ミリも思っていなかった。

「レベルの高いところやれば、僕の力をもっと引き上げてもらえるんじゃないかという期待も込みで、大阪桐蔭でもやれる......。そっちの思いのほうが強かった。そこに圧倒的な憧れ感。中田さんも進んだ大阪桐蔭で、とにかくやりたかったんです」

【関西と体育会系のノリに馴染めず】

 進学先を考えるなかでは、2008年のセンバツで優勝した沖縄尚学や、コンスタントに甲子園出場を重ねていた鳴門工業といった学校にも興味を持ったが、最終的に大阪桐蔭への憧れが上回った。

 その思いは通じ、2010年春に大阪桐蔭へ入学。本人の熱意に加え、中田が期待どおりの成長を遂げたことで、鯉城シニアと大阪桐蔭との間に生まれた信頼関係があと押ししたこともあったのだろう。

 しかし希望に胸を膨らませ迎えた練習初日、淡い期待は一瞬にして吹き飛んだ。先輩たちの投げるボールが違った。先輩たちだけでない、同級生たちのボールも違った。同級生には藤浪晋太郎、澤田圭佑といったプロに進んだ投手だけでなく、今も社会人で現役を続けている大型左腕の平尾奎太、中学時代に天理シニアで全国制覇を達成した左腕の山口聖也ら、実力、実績を備えた面々がズラリ揃っていた。高校生活の第一歩を踏み出したその日に、思い描いた青写真を修正せざるを得ない現実を突きつけられた。

 ただ、小柳が高校生活を振り返った時、本人を悩ませたのは実力の問題だけではなかった。

 寮で寝食をともにした多くの同級生とうまく付き合えなかった。決定的な何かがあったわけではない。中学時代は主将を務め、学校でも生徒会の活動に勤しんだ。表立って目立つタイプではないが、主張すべきことは主張し、高いコミュニケーション能力を備えていた。しかし、高校時代の小柳はうまく自分を出せなかった。

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