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自称「大阪桐蔭で一番下手だった」男の唯一のエピソード 5年先輩の中田翔を「しょうくん」呼ばわりに同級生は騒然 (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tamigami Shiro

「とくに最初の頃ですね。向こうがちょっとふざけたつもりで言ってきた言葉や行動が気に障ったり、逆に僕の言葉の発し方や言葉選びに向こうがイラッとしたり。関西と体育会系のノリに馴染めなかったのと、当時の僕はバリバリの広島弁でしたから。向こうからしたら、ずっとキレているような感じだったみたいです。それに、僕はもともといじられキャラではないですし......。うまくいかなかったですね」

 1、2年の頃は、何もかもうまくいかず、同級生と馴染めなかった。だから......と、中田がグラウンドを訪れた時の話につながった。

「野球も人間関係もうまくいってない時に、中田さんが来たんです。あの時の僕としたら『マウントを取れる!』となって、みんなの前で思いきり『しょうくーん』って呼びました。意図的でした」

 しかし、周囲の目が小柳に向いたのは一瞬。その後の状況は、何も変わらなかった。毎日練習グラウンドに立ちながら、晴れない気分のなか、ネガティブな思いが交錯した。ほかの学校に進んでいればどうだったか。野球部を辞めたらどうなるのか。学校も辞めないといけないのか......。

 多少打ち解けていた一部の同級生に弱音は吐けない。「しんどいわ......」とこぼせたのは、寮生が親との面会、外食を許される2カ月に一度の時間だけ。

 すると我が子の窮状を察したのだろう。2年になると、土日を利用して両親が広島から練習や試合を見に来るようになった。直接話すことはできないため、遠目から眺めているだけだったが、そのためだけに広島から来てくれる両親の姿を見るたび、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

【カラオケボックスで突然の涙】

 2年秋の大会が終わると野手への転向を申し出て、外野と三塁の練習をするようになった。だからといって、何かが変わるわけではない。そのなかでチームは、2012年に甲子園春夏連覇を達成。球史に残る偉業をやってのけたチームのなかで、ますます居場所を見つけられずにいた。

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