元・東大野球部スラッガーが司法の道へ 辻居新平の文武両道の極意は「勉強でもスポーツでも本気でやったほうが楽しい」 (2ページ目)

  • 門脇 正法●取材・文 text by Kadowaki Masanori
  • 田中 亘●撮影 photo by Tanaka Wataru

【もしもドラフト指名されていたら?】

ーー辻居さんは1年の時から試合に出場し、2年の秋季リーグで打率3割8厘・1本塁打・6打点の好成績を残しました。結果が出始めたきっかけはありましたか?

 レベルとしてはまだまだだったんですけど、ありがたいことに将来性を買ってもらったのか1年の時からレギュラーメンバーの練習に混ざったりしていました。ですが、2年の夏頃までくすぶっていて、ひとつ下の学年にも同じ外野手でいい選手が入ってきて、ベンチを外れそうになりました。

 秋の大会前の紅白戦で、ぶっつけ本番で打撃フォームを変えてみたんです。足をあまり上げないフォームに変えたところ、東大のグラウンドの外野ネットを超えるような、大ファールを打って。それを見た監督から「その調子でやれ!」と言われ、ベンチ入りを守ることができました。迎えた秋季リーグでは、ケガで先輩が出られなくなったタイミングでスタメンに入れてもらって、3割を打てて、調子が上がっていきました。

東大時代は主将として、打線の主軸としてチームを引っ張った photo by Ohtomo Yoshiyuki東大時代は主将として、打線の主軸としてチームを引っ張った photo by Ohtomo Yoshiyukiこの記事に関連する写真を見るーーそして3年の時には、もう一度3割の打率を記録するだけでなく、キャプテンとしても東大野球部を率いています。

 正直、キャプテンはきついことも多かったですね(笑)。やっぱり、東大野球部のキャプテンは連敗を打破しないといけないプレッシャーがありました。今でも夢に出てくるんですよ。ハッて目覚めた時に、(主将として)もっとこういうことができたんじゃないかと思ったり、ある意味、後悔というか。もちろん、当時は必死にやっていましたし、キャプテンをやってよかったこともたくさんあるんですが。

ーー辻居さんは「東大初の野手でプロ指名」も期待されました。しかし、4年生の時は打率1割台と満足いく成績を出せなかったのかなと思います。仮に、4年でもいい成績を残せて、ドラフト指名をされたらどうしていましたか?

 今でも悩むところではあるんですが、難しいですね。もちろん、ドラフト指名を受ける実力が伴っているのが大前提になりますし、プロの世界に入るからには上の世界で戦っていくレベルを目指さないといけないと思うんです。

 もしも、そのレベルになれていたらプロの世界もあったとは思いますが、どうしてもリスクがある不安定な世界なので天秤にかける必要がありますね。なんて答えたらいいかわからないですが、場合によるというか、自分の成績次第だったかなという気がします。

 ただ、4年の秋季リーグの終盤で、なにかつかんだ部分があったので、あの感覚でもう1シーズン、東大で野球をやりたかったなとは思いました。

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