「ペッパーミル」だけじゃない! 甲子園球児がWBCで大谷翔平やヌートバーから学んだこと (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 ハッブスと同じく大谷のセーフティーバントが印象的だと語ったのは、山梨学院の主砲・髙橋海翔(ひろと)だ。

「あんなスーパースターでも、チームのために勝つことを最優先してやるんだなと。自分も見習わないといけないと思いました」

 髙橋は高校通算46本塁打をマークしている右の強打者である。そんな髙橋も、この日の東北戦ではフォア・ザ・チームを試される場面があった。3回裏の攻撃、無死一、二塁で打順が回ってきた?橋に、送りバントのサインが出た。?橋は瞬時に大谷のセーフティーバントを思い出したという。

「でも、自分にはまだできなかったです」

 髙橋が試みたバントはファウルになってしまった。結果的に四球を選んだとはいえ、髙橋は「打線なので、自分の仕事をしないと」と反省を口にした。

【技術面でも最高の教材に】

 WBCの試合終了時刻が遅くなっても、工夫してテレビ観戦を続けたのが沖縄尚学のエース右腕・東恩納蒼(ひがしおんな・あおい)である。

「長いといっても23時前には終わるので、ストレッチをしながら見ていました。試合が終わったらすぐに寝られるように準備しておいたんです」

 世界最高峰のプレーは、選手たちにとって生きた教材になる。沖縄尚学の東恩納とバッテリーを組んだ知花慎之助は、背番号8ながら甲子園でマスクを被った。8回表の守備では、力感のない見事なスローイングで大垣日大のスチールを刺し、ピンチの芽を摘んでいる。

 知花にスローイングの話を聞くと、「甲斐拓也さんを参考にしています」という答えが返ってきた。

「力んだらいいボールはいかないので。力まず、タッグしやすいボールを投げたいと考えています」

 精神的にも技術的にもWBCから学んだ甲子園球児の言葉を聞いて、日本野球の明るい未来が見えてこないだろうか。「ペッパーミル」ばかりが取り沙汰されるが、高校球児が侍ジャパンから受けた影響はもっと本質的な部分にある。

プロフィール

  • 菊地高弘

    菊地高弘 (きくち・たかひろ)

    1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。

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