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「世界一」「日本一」経験のエリートが3年夏にようやく手にした背番号13。八戸学院光星・冨井翼の生きる道 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 リトル時代の栄光を引きずることはなかったのだろうか。そう聞くと、冨井は笑顔でこう答えた。

「あの時のあの経験があるから、今の自分があると思っています」

 周りの選手はどんどん体が大きくなり、自分より劣っていた選手が追い抜いていく。自分だけ取り残されるような、焦燥にかられてもおかしくない。

生命線はカットボール

 それでも、冨井は自分の生きる道をあきらめなかった。高校は東京から青森へと渡り、八戸学院光星に進学した。

 降雪量はさほど多くない八戸市だが、凍てつく海風が吹きつける冬場の寒さは東京とは比較にならない。冨井は「寒くて長い冬の期間にどれだけ自分に向き合えるかが難しかった」と振り返る。

 部員173名の大所帯で自分の生きる道を必死で探し、ひとつの答えに行き当たった。

「身長でも力でも勝てない。でも、自分は変化球が得意だったので、とにかく周りより持ち味を磨こうと思いました」

 冨井の投球のほとんどは、120キロ台中盤のカットボールが占める。強打者のバットの芯を外し、打たせてとる。それが冨井の生命線になった。

 リトル時代の世界大会、シニア時代のジャイアンツカップ。幼少期から場数を踏み、雌伏の時期を耐え忍んできた冨井は誰よりもたくましかった。今夏、初めて背番号をつけた冨井は、いつも大事な場面でリリーフ起用された。

「毎試合そういう場面を抑えて、流れを持ってくるのが自分の役目なので。いつも心の準備はしていました」

サヨナラ打を許すも「やりきった」

 8月12日の甲子園2回戦。八戸学院光星は7回表まで5対1とリードしたが、7回裏に愛工大名電の猛反撃に遭い、5対5の同点に追いつかれる。なおも二死満塁のピンチで、冨井は投入された。

 三塁側アルプススタンドの大応援につられるように、手拍子が球場全体に伝播していく。スタンドをぐるりと渦を巻くように大きな拍手が反響する。冨井は「球場の360度全部が敵に見えた」と明かす。

 それでもグラウンドを見回せば、いつものように仲間が声をかけてくれた。ベンチで声を枯らすメンバーの存在も頼もしかった。冨井は臆せずにカットボールを投げ込み、愛工大名電の4番打者・山田空暉をショートライナーに打ちとった。

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