高校野球の変化とともに勝てなくなっていった四国勢。高松商業が躍進、「守り勝つ野球」の逆襲となるか

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 大友良行●撮影 photo by Ohtomo Yoshiyuki

高校野球の変化と四国勢の低迷

 今から20年くらい前、筆者が自分の出身地を告げると「愛媛は野球王国ですよね。四国には野球の強い高校がたくさんありますね」という言葉が返ってきたものだ。

 夏の甲子園の都道府県別勝率ランキングで、長く1位に君臨していたのは愛媛だった(現在は、大阪に次いで2位)。7度の全国優勝を誇る松山商業のほか、西条、今治西、宇和島東、新田、済美など全国的に名を知られる高校が並ぶ。他の四国勢も、香川には高松商業、徳島には徳島商業、高知には高知商業や明徳義塾と、全国を制した強豪が多い。

 しかし、この15年ほど、四国勢が夏の甲子園でなかなか勝てない状況が続いている。2002年夏の甲子園では、準々決勝に4校(優勝した明徳義塾、ベスト4の川之江、ベスト8の鳴門工、尽誠学園)すべてが残るということもあったのに。

1回戦で2打席連続本塁打を放った高松商業の浅野翔吾(右)と長尾健司監督(左)1回戦で2打席連続本塁打を放った高松商業の浅野翔吾(右)と長尾健司監督(左)この記事に関連する写真を見る「相手に点をやらなければ負けない」というのが、かつての四国野球の根底にある考え方だった。僅差の試合に競り勝つために守備を鍛え、走塁を磨き、サインプレーの練習を繰り返した。

 しかし、高校野球はすっかり姿を変えた。「点をやらない野球」よりも「1点でも多く取る野球」が主流になった。甲子園では、送りバントでチャンスを広げるよりも強打で相手を"叩きつぶす"力のあるチームが勝ち上がるようになった。選手たちの体は大きく、分厚くなった。

 1996年夏、松山商業を率いて全国優勝を果たした澤田勝彦元監督は、高校野球の変化についてこう語っている。

「1970年代までは、鍛え上げた守りをベースに戦うのが高校野球の主流だった。それを大きく変えたのが1982年に全国優勝した池田高校の蔦文也監督。金属バットの威力を最大限に生かした"やまびこ打線"は衝撃的でした。

 もうひとつ、大きな変化があったのは2000年に入ってから。遊学館、済美、神村学園といった私学が、創部すぐにもかかわらず日本一、あるいは全国でも上位まで勝ち上がった。実績のある監督さん、有望な選手、野球をするための設備が揃えば全国でも勝てるんだ、というふうになりましたよね。140キロ以上を投げるピッチャーを何人集められるか、そのスピードボールを打ち返すバッターを何人揃えられるか、と」

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