「東大野球部を勝たせてみろ」、恩師の言葉に「はい」。64連敗ストップの立役者、松岡泰希捕手の武器は"記憶力" (2ページ目)
基礎をつくってくれた恩師との出会い
ーー松岡選手の野球歴について教えてください。
松岡 野球を始めたのは、アニメの『メジャー』を観たのがきっかけでした。小学3年の時に、父とキャッチボールをしたのが最初です。純粋に野球って楽しいなっていうところから始まりました。主人公の茂野吾郎に憧れていたので、少年野球チームではピッチャーをやっていました。
でも、ちょっとコントロールが悪くて。外野や内野もやりつつ、6年の時に社会人野球のヤマハではキャッチャーをしていた監督の伊佐治豪文さんから、キャッチャーをやってみろといわれて。
ーー社会人野球の名門チームでプレーされていた監督の指導を受けていたんですね。捕手としての心構えなどの学びがたくさんあったのではないでしょうか? 松岡選手にとって、キャッチャーの魅力とはどんなところですか?
松岡 キャッチャーはひとりだけ、他の8人と逆の方向を向いていて、見える景色が違います。だからこそ、ゲームを俯瞰してコントロールするというか、相手の攻撃を抑えるうえで重要なポジションだと感じられて、小6の頃から面白いと思っていました。
当時は少年野球ですし、細かい配球や、どうやって抑えるかという話は、そんなにはされませんでした。監督からは、キャッチャーとしての基礎的な技術を教わりました。どういう動きをしようとか、どういうプレーができたらいいよ、みたいなことで育んでくれたと思います。今の自分の基礎にはなっていますね。
インタビューに応じる松岡主将この記事に関連する写真を見るーー横浜で育った松岡選手は、その後、私立の中高一貫校に進みます。授業や塾などの勉強との兼ね合いはどうでしたか?
松岡 じつは僕が入った時の東京都市大学付属は、いわゆる難関の受験校ではなかったんです。塾には在籍していたものの、野球の練習ばかりでほとんど行きませんでした。
ーー勉強そっちのけで野球ばかりですか。そこまで野球にのめり込んでいて、中高一貫の東京都市大学付属を選んだのはどうしてですか?
松岡 東京都市大学付属の中学の野球部が、ボーイズリーグに所属していたからです。ボーイズリーグは少年硬式野球のクラブチームのリーグで、軟式野球の部活よりも、なんていうんでしょう、比較的レベルの高い選手が集まっているんです。ボーイズには、そこで結果を出して野球推薦で強豪校へ行こうと思っている人がたくさんいます。そういう選手が集まるボーイズリーグで戦いたかったというのはあります。
ーーボーイズリーグでの成績はどうでしたか?
松岡 中学時代はチームがけっこう強くて、全国大会の予選の決勝まで進んだり、関東大会ではベスト8に進出しました。
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