「プロ野球選手→高校監督」の先駆者・大越基の信念。「甲子園出場=いい指導者という考えはない」 (7ページ目)
今春の山口大会でも4強入りするなど、県内で安定した成績を残し続けているが、2度目の甲子園にはなかなか縁がない。ただ、手ごたえも掴んでいる。
「2016年、春の県大会で優勝したチームは、監督の指示をその場で実行するだけでなく、ほかの場面でも応用できる選手が多くいました。大学で野球を続けて、キャプテンを任せてもらえる選手が何人もいたり、なかには『歴代最高のキャプテンだ!』とまで大学の監督に言っていただいたり。そのなかで、今でも忘れられないのが、当時の校長先生からいただいた『こんなにいい生徒を持てたら、教員としてこのうえない幸せだね』という言葉です。この世代のような、これを越えるチームをつくって、結果として甲子園に行きたい。今は強くそう思っていますね」
早鞆では、選手たちが大越を「監督」ではなく、「大越先生」と呼ぶ。「自分は監督じゃなくて『先生』だと思っているので、『大越監督』とは呼ばれたくないんですよね」と笑顔で話し、こう続けた。
「正直、教員はなりたくない職業だと思っていました。さっきも言ったように『野球の指導をしたいから教員になる』のがスタート。でも、実際にやってみると教員の仕事が想像以上に自分に合っていたと感じるし、周囲からもそう言ってもらえるんです。これはプロアマ規定の旧制度があったからこそ気づけたこと。じつは、今は体育よりも保健の授業のほうが好きで。一般生徒と関わる機会が多いし、どう接していくかを考えていくのが楽しいですね」
初甲子園で自軍と相手の戦力差をシビアに分析していた自身の経験も踏まえ、「元プロは、チームの力関係を『見切っている』と思う」と語る。
「プロの環境に身を置いていろんなプレー、チームを見てきている分、『このチームは頑張ってベスト4だな』と見極める目を元プロの人々は持っていると思います。あまり希望的観測を持たないし、その見立ては当たるとも思います」
その指揮官から見て、今年の早鞆はどうか。
「面白いと思っています。けど、もうひとつ殻を破れないと春のベスト4から上には行けない。それが単純な技術とは違う、見えない何か。もしかすると、人間的な幼さだったり、そういうところなのかもしれない。そういったところを突き詰めて変わっていった時、結果も変わってくるんじゃないかな、と」
いよいよ始まる2年ぶりの甲子園をかけた夏、指揮官の目にチームは"理想形"として映っているだろうか。
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