「プロ野球選手→高校監督」の先駆者・大越基の信念。「甲子園出場=いい指導者という考えはない」 (3ページ目)

  • 井上幸太●文・写真 text & photo by Inoue Kota

 現役時代の実績が大きければ大きいほど、指導者として周囲が求めるものも当然大きくなる。自身の経験も踏まえ、こう続けた。

「元プロの監督たちが大変なことのひとつに、『結果を求められる』ことがあると思うんです。"大きな"結果を"すぐ"に求められる。そこはすごく大変だと思います。自分自身のプレーでなくて、指導で結果を求められる。それは私以外の方々もすごく苦労されるんじゃないですかね。私自身も、就任直後はそういった期待を感じていました。今も感じていないわけではないですが、少し免疫ができてきた部分はありますかね(苦笑)」

 就任前へと話が戻るが、大越が指導者を志したきっかけ、そして早鞆の監督に就任した経緯はどういうものだったのか。振り返ってもらった。

「現役を引退したあとも、野球に携わっていきたいなと思っていました。じゃあ、どうすればいいのか考えた時、いろいろな野球があるなかで『高校野球』が真っ先に頭に浮かんだんです。自分でもそれがなぜなのかは今でもわからないんですが......。今はもうその考えは変わっているんですけど、最初は『高校野球を指導するために、必要な教員免許を取ろう』という思考でした」

 当初は中退した早大への復学を考えたが、「退学から7年以内であれば編入試験を受けられたんですが、それ以上経っていたので、一から受験し直す必要があった」ため、断念。次は福岡県内の私立大を考えたが、すでに願書受付が終了していた。候補が少なくなっていく中、行きついたのが下関市にある東亜大だった。

「保健体育の免許を取れる大学の候補がなくなっていくなかで、福岡からも近い東亜大の存在を偶然知りました。大学側に電話をかけて確認したところ、早稲田時代の単位も引き継げて、2年時編入の形で、3年で卒業できる。それが決め手となり、東亜大に進みました。通学するうちに早鞆の卒業生や野球部OBの方々と交流ができて、『監督をやらないか』となったのが、一番の理由ですね」

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