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ダルビッシュが絶賛も突如、野球界から消えた強打者。妻に背中を押され再びNPB挑戦へ (2ページ目)

  • 菊地高弘●文・写真 text & photo by Kikuchi Takahiro

「あのホームランは絶対打てるという自信があったんです」

 当時の内幕を植田は明かしてくれた。

「9回に打席に入る前、監督(関口清治)から『絶対に塁に出てくれ』と言われていたんです。前の回からピッチャーがエースの八塚(凌二/済美→伯和ビクトリーズ)に替わっていて、1球見た時点で『これは絶対いける。三振はせえへん』って感じたんです。高めのボールに反応して、ホームランを打てました」

 理解不能の2本目には、思わぬ裏話が眠っていた。

「(無死一、三塁から)2球目にエンドランのサインが出たんですけど、打席で『絶対打てるから!』という顔をして、サインを無視したんです。ボールを見逃して監督からにらまれましたけど(一塁走者は盗塁に成功)、3ボールになっても『絶対打てます』という顔を監督に見せていました。『絶対真っすぐしか投げてこない』と思ったら真っすぐがきたので、ボール球でしたけどバットを振りました」

 何度も飛び出す「絶対」の根拠は、植田特有の感覚でしかないのだろう。

 しかし、これほど超人的なパフォーマンスを見せた植田でも、2017年秋のドラフト会議でプロ志望届を提出しなかった。ドラフト会議後、ダルビッシュ有(パドレス)が自身のSNSで「自分としては植田拓選手をプロで見たかった」と発信し、植田の存在は大きくクローズアップされた。

「自分は母子家庭だし、お金のかかる大学には行かずにプロに行きたい」

 植田本人は強いプロ志望を持っていた。待ったをかけたのは恩師の関口監督だった。当時、植田は右手首に爆弾を抱えていたためだ。

「3年春のセンバツが終わったあと、試合中に逆方向に打ったら手首から『ボキッ!』と音がしたんです。しばらく放っておいたんですけど、少しずつ痛みが響いてきて、バットが持てないようになってしまいました」

 病院に行くと、右手首の舟状骨(しゅうじょうこつ)が欠けた状態だと診断された。手術の選択肢もあったが、植田は手術を回避して痛み止めの注射を打って試合に出続けた。夏の甲子園は「アドレナリンがマックス出ていたので、試合中は痛くなかった」と植田は振り返る。

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