2021.03.19

天理高・中村良二監督は元近鉄の苦労人。反面教師は「現役時代の自分」

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Sankei Visual

【プロ野球で一流になれなかった苦労人】

 1986年夏の甲子園で優勝した天理のキャプテン、中村良二が高校野球の監督になり、甲子園で涙を流したのは2017年夏のことだった。

「監督になるというのは一度あきらめた夢だったので、恥ずかしながら涙を流してしまいました。まさか、母校である天理のユニフォームを着て戻ってこられるとは思っていなかったので」

 中村に率いられた天理の選手たちは、甲子園で大暴れした。大垣日大、神戸国際大付を下し、準々決勝では明豊に打ち勝った。準決勝の広陵戦で、中村奨成(広島)に2本のホームランを打たれて9対12で敗れたものの、ベスト4入りは全国優勝した1990年以来27年ぶりの快挙だった。

「僕は、指導者になるためにプロの11年間があったんじゃないか。あの世界で勉強させてもらったんじゃないかと考えています」

元近鉄で、2015年8月から天理の監督を務める中村良二元近鉄で、2015年8月から天理の監督を務める中村良二  右の長距離砲として期待され、1986年ドラフト2位で近鉄バファローズに入団した中村は、最後までレギュラーを掴むことなく、ユニフォームを脱いだ。そのときの経験を『補欠のミカタ レギュラーになれなかった甲子園監督の言葉』(徳間書店)の中で語っている。

 二軍(ウエスタンリーグ)での通算ホームランは110本。中村はその長打力を一軍では発揮できなかった。近鉄バファローズに在籍した10年間で、一軍での出場は41試合。51打数5安打、本塁打0という成績だった。

 1980年代、近鉄は豪快な野球で人気を集めていた(2004年限りで、オリックス・ブルーウェーブに吸収合併)。1988年秋、仰木彬監督に率いられた"猛牛軍団"は王者・西武ライオンズを最後まで追い詰めながら、"10・19決戦"で敗れた。その悔しさを胸にスタートした1989年、春季キャンプメンバーに中に中村の名前があった。

「キャンプから帯同させてもらって、必死にしがみついて開幕一軍切符を掴みました。シーズンに入ってからも打席に立つチャンスをもらい、ヒットも打って『これから』と思っていたんですが、二軍のほうが試合に出るチャンスがあるからということで二軍落ちしました」