超進学校のサプライズなるか。165センチ、138キロ左腕がプロ志望届を出した理由 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

 中学時代は軟式野球の全国大会に出場。高校進学の際、大阪府内の野球が強い中堅私学から誘いを受けたが「高校までは勉強も野球もしっかりやりたい」と、当初の予定どおり北野高校へ進んだ。

 入学すると、1年から実戦経験を積み、秋からはエースとなった。

「速くはないけど、空振りが取れるストレートのキレと変化球の質には自信があります。あと、ピンチになったらギアを上げて抑えられるところも持ち味だと思っています」

 コロナ禍により休校となるまでプロの選択肢はなく、2年春の段階では筑波大を目指すと決めていた。ちょうどその頃、腰を痛めたことがきっかけで、自身の体について深く考えるようになった。

 そうしたなかで、動作解析など熱心に取り組んでいる筑波大野球部のことを知り、ここに進みたいと思ったという。前監督の小谷内和宏氏や現顧問のひとりである川副弘二氏が筑波大OBであったことも情報収集に役立った。

 ところが独自大会が始まる前、長曽我部のなかでプロへの関心が急に高まった。

「練習会があると知って、そこで投げてみたい気持ちが強くなったんです。プロへ行きたいというのもそうですけど、今の自分の力はどれほどのものなのか。それを確かめてみたくなって......」

 強豪校にいるような選手以外は、自分の力を測れる機会は少ないもの。長曽我部の最速とされている138キロにしても、本人が「たぶん138キロくらい」と口にしたのが広まっているだけで、本当のところはよくわからない。

 例年なら大学の練習会などに参加し、力を確認できる場があるのだが、今年はコロナにより中止に。また、春の大阪大会では初戦で履正社との対戦が決まっていた。履正社は昨年夏の甲子園で優勝し、小深田大地や関本勇輔といったドラフト候補が並ぶ超強力打線。そんなチーム相手に投げていれば、多少は実力を測れただろうが、それも流れた。

 結局、自分の力がわからないままモヤモヤしていたところ、練習会の開催を知り、参加を決めたというわけだ。

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