父は元プロ野球選手でコーチ。甲府工・山村貫太、「恩返し」の夏 (2ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Taguchi Genki

 貫太。「かんた」と読む。

「好きですね、自分の名前」

 太く、芯の強い幹のように育ち、大事なものを貫けるような人間になってほしい──名付けたのは父・宏樹だった。自身も「樹木のように揺るがず、芯の強い男に」と親から名を授かった。

 宏樹が「貫太」に込めた想いを紡ぐ。

「何かを貫くって、すごく難しいことなんです。父親である僕だって、いまだにいろんなことで揺らいだりしますから。名付けた時は、貫くものと出会えれば勉強でもなんでもよかったんです。それが、今は僕と同じ野球で頑張ってくれているんで、最後まで芯を持って貫いてほしいですね」

 宏樹は甲府工OBの元プロ野球選手である。

 高校2年の1993年夏に「エースで4番」として甲子園に出場し、1994年のドラフトで阪神から1位指名を受けた。近鉄時代の2001年に7勝を挙げてリーグ優勝に貢献。球団創設と同時に移籍した楽天では、先発、中継ぎと役割を問わずチームに尽くし、2012年に18年の現役生活を終えた。

 引退後は野球評論家として活動する一方で、2014年に学生野球資格回復の認定を受け、同時期に母校・甲府工の非常勤コーチに就任。現在は評論活動、地元企業での営業職との"三足のわらじ"を履き活動する。

 つまり、息子が入学する以前から、父は甲府工で指導していたわけである。

 高校野球において、「監督と選手」といった親子関係は珍しくはない。ただ、山村親子のように、「元プロ」の父親が指導する高校に入学する息子の例は少ない。

 宏樹いわく、貫太が甲府工への進学を決めたのは中学3年の夏だった。ふたりで観戦した山梨学院戦。敗れはしたが、息子は父に言った。

「(甲府)工業に行って、山梨学院を倒す」

 貫太にとっても、「打倒・山梨学院」の覚悟を決めさせる要素は整いつつあった。

 甲府南シニアで活躍する貫太に、甲府工の前田芳幸監督は「お父さんに関係なく、うちでやってみないか」と、ひとりの選手とて評価してくれた。なにより、のちに甲府工の主将となる山本圭介ら8人のシニアのチームメイトが「工業で甲子園に!」と同じ船に乗ってくれたことも頼もしかった。

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