父は元プロ野球選手でコーチ。
甲府工・山村貫太、「恩返し」の夏 (4ページ目)
1年秋の公式戦初戦で貫太は満塁本塁打というド派手なデビューを飾る。周囲が「さすがプロ野球選手の息子だ」と色めき立つ。そうかと思えば、パフォーマンスが振るわなければ「プロの息子でも打てないか」と、根拠のない言葉を浴びせられる。
「わずらわしさは結構ありました」
そう申し訳なさそうに切り出すが、苦笑いを浮かべた表情が本音を物語っていた。
「新聞とかに"元楽天・山村の息子"と書かれたり......それが悔しくて。山村貫太って書いてもらいたいなって、ずっと思いながらやっていますが、なかなかそうはならないので。『まだ自分の実力が足りないからだ』と思うようにしています」
事実、2年生となってから、1年秋に疲労骨折した左足の影響もあって、貫太はちょっとしたスランプに陥った。それまで中軸を打つことが当たり前だった打順は、新チームとなって臨んだ秋には6番に降格となった。
「しんどかったです、あの時期は」
そう本音を漏らすが、この経験が貫太に足元を見つめさせる大きなきっかけとなった。
「それまでは『クリーンアップを打って当たり前』とか『オレが引っ張っていかないとダメだ』とか、余計なプライドやプレッシャーがありました。チームのことより自分のことだけを考えていた部分がありました。秋は打てなかったし、チームも(山梨)学院に負けて。それがあったから、冬は副キャプテンとして『もっとチームのために』と、自分を追い込めたんだと思います」
シーズンオフ、息子の取り組みを宏樹は静かに見守っていた。
「変わったな」
変化はすぐに感じ取れた。
「冬の練習は、今まで以上に前向きにやっていることが見ていてわかりました。最上級生になって『高校野球はあと少ししかないんだ』と、自覚が芽生えたんでしょう。あの時期があったからこそ、3カ月も野球ができないなか、ストレスを感じながらも自分と向き合えたんじゃないですかね。『大人になってきたな』って思いました」
父が"元プロ野球選手"という宿命と戦いながらも、懸命に前を見続けた貫太。だが、「親子で甲子園」という夢は無残にも打ち砕かれた。
後編につづく
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