六本木のバーテンダーから甲子園へ。PL魂を受け継ぐ男の波乱万丈記 (2ページ目)

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • photo by Inoue Kota

「日大野球部時代の先輩が手がけている仕事を手伝ってくれないか、と話をいただきました。約半年間レストランで接客を学ばせてもらって、それを生かせる仕事だとも言ってもらえて」

 会社員、レストランのウエイターを経験した谷本の次なる職場は、六本木の高級クラブ。今度は黒服として店に立つ日々を送った。

 3カ月が経ち、業務にも慣れてきた頃、再び件の先輩から話を持ち掛けられる。「これで何かやってみろ」。この言葉とともに、まとまった額の開業資金を手渡された。

「先輩から開業資金をいただいて、今度は自分が何かしらの事業をやることになりました。じゃあ、自分に何ができるかと考えたとき、生かせるのはここまで学んできた接客やサービスだと感じたんです」

 自身の能力と現実的な利益率を勘案し、バーを開業すると決めた。出店場所と開店日が決まってからは、ひたすら営業に出向いた。

 営業活動のスタートから約3カ月間は「3時間寝られればいいほう」な生活。睡眠時間を削りながら、地道に営業を続けた。球歴を歩むなかで築いた人脈を生かすため、一睡もしないまま野球場に訪問した日もあった。

 谷本の奔走の甲斐もあり、赤字になったのはオープン当初の3カ月間のみ。早々に店の黒字化に成功した。

 当時25歳。雇われ店長の身ではあったが、同年代の会社員の給与よりもはるかに多くの金額を手にできるようになった。

 順調そのものだったが、同時に谷本のなかに満たされない感情が生まれていく。

「経営が軌道に乗って、贅沢な悩みではあるんですが、目標がなくなってしまったように感じました。胸のなかの熱いもの、熱くなれるものがなくなってしまったというか......

 抱いたモヤモヤ感は、潤沢な月給を手にしても払拭できず、気のいい常連たちと酌み交わす酒でも流し込めなかった。

 燃え尽きにも近い状態の谷本の目に飛び込んできたのが、自宅にあった母校・PL学園のユニフォームだった。

 PL学園の公式戦用ユニフォームは部で管理され、大会ごとに選手に貸与される。返却が義務付けられており、選手たちの手に渡ることはない。しかし、谷本たちの代は高校3年の国体で優勝しており、その記念として例外で着用したユニフォームを貰っていた。

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