2019.08.27

松坂大輔の「伝説の決勝戦」で2四球。
今も忘れない平成の怪物の記憶

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • photo by Inoue Kota

 外角に鋭く曲がり落ちたスライダーに、バットが空を切る。マウンド上では大会の主役が笑顔でガッツポーズをつくる。ブラウン管には優勝校の選手たちが歓喜の輪をつくる様子が映し出される。

「横浜・松坂! 決勝戦のノーヒット・ノーラン!」

 アナウンサーが渾身のフレーズを読み上げる。1998年夏の甲子園、横浜高(東神奈川代表)のエース・松坂大輔(現・中日)が京都成章との決勝戦でノーヒット・ノーランを達成。”平成の怪物”。高校野球史にその名を刻み込んだ瞬間だった。

 偉業達成の瞬間、京都成章の「2番・ライト」で出場していた田坪宏朗(たつぼ・ひろお)は、一塁ベース上にいた。

現在はスポーツメーカーに勤めている元京都成章の田坪宏朗氏「ああ、これで終わりなんやな」

 大記録の誕生とともに告げられた高校最後の夏の終わりに、最初は実感がわかなかった。力強く校歌を歌う横浜ナインの姿を見つめた時、「そうか、ついに終わったんや」と現実を噛みしめた。あの夏から21年が経過した今、決勝で顔を合わせた松坂の印象をこう振り返る。

「あの頃って、まだ140キロが出たら『速い!』と言われていた時代。そのなかで150キロ投げてましたからねぇ。決勝でも球威は十分で、スライダーもすごかったですけど、やっぱり真っすぐのイメージが強いですね」

 1998年夏の甲子園は、高校野球史に残る大会として語り継がれている。沖縄水産・新垣渚(元・ソフトバンクほか)、浜田・和田毅(現・ソフトバンク)、東福岡・村田修一(現・巨人二軍打撃コーチ)、鹿児島実・杉内俊哉(現・巨人二軍投手コーチ)、関大一・久保康友(現・メキシコリーグ)を筆頭に、のちにプロ野球界を湧かす選手たちが出場し、大会を盛り上げた。

 そんな粒ぞろいのなかでひと際強い輝きを放っていたのが、松坂だった。松坂擁する横浜は同年春のセンバツも制しており、各校が「打倒・松坂」を掲げて甲子園に乗り込んできた。その結果、延長17の死闘を繰り広げたPL学園(南大阪戦)戦や、最大6点差を逆転した明徳義塾(高知)戦などの名勝負が生まれた。