二浪→BC。ドラフト候補・安河内駿介は速球とつぶやきで存在感を放つ (3ページ目)
大学4年の11月からトレーニングを再開し、大学卒業後は世田谷学園(東京)の嘱託職員として野球部の練習に参加した。ここで安河内は「ほぼフォーム改造にあてた」という日々を過ごす。
「大学時代の僕のフォームは、ケガをするために投げているようなフォームでした。テイクバックが背中まで深く入って、リリースでは頭と手が離れていました」
そして、K-1ファイター・魔裟斗のトレーナーを務めた土居進さんが経営するトレーニングジムにも通うようになった。そこでは多くの格闘家がトレーニングに励んでおり、安河内は大きな影響を受けた。
「近くでいろんなアスリートの考え方を聞いて、どんどん考え方が変わっていきました。あと土居さんのジムには経営者の人も来ていて、野球以外の分野の方と交流できました。考え方の引き出しは絶対に多い方がいい。僕は野球選手という前に、人としてどうあるべきかが大事だと思っています。それは浪人時代に学んだことですね」
リハビリとともにフォーム改革、意識改革は進んだが、なかなか思うような結果は出なかった。浪人1年目のプロテスト受験には失敗。「都市対抗を目指そう」と誘いを受けた新興社会人チームは部員が5人しかおらず、野球の練習ができる業務形態でもなかったため、日本野球連盟に登録される前に退社した。2年間の浪人生活を経て、安河内は国内独立リーグであるBCリーグの武蔵に入団したのだった。
入団するにあたって、安河内は自身にあるテーマを設ける。キーワードは「圧倒」だった。
「僕はただNPBに行きたいんじゃない。NPBで『億』を稼ぐためにどうすればいいのか。そう考えたときに、BCリーグで周りを圧倒しないとNPBでは通用しないし、圧倒的な存在感でいないとNPBでは活躍できないと思ったんです」
5年ぶりに登板した試合でいきなり150キロを計測。春先からシーズン序盤までは、最速151キロのストレートと縦に鋭く曲がるカーブの2つの球種だけでやりくりした。本人も「ストレートとカーブだけでいくのが理想」と豪語する。武蔵のリリーフとして活躍し、前期リーグは防御率0点台と文字通り圧倒した。
3 / 4