荒木大輔も圧倒。帰る気満々だった池田が甲子園の歴史を塗り替える (2ページ目)
蔦監督がびっくりするほど優しい
その年の甲子園は荒木と早実の周囲にいつも人だかりができていたが、池田の選手たちは自由な空気に包まれていた。
「1回戦の静岡(静岡)に勝ったあと、次の試合まで1週間くらい空いたんです。その間に、阪神パークに行ったり、ポートピアに行ったりして自由に過ごしていました。練習は1日2時間くらいで終わり。蔦先生も、甲子園ではびっくりするくらいに優しくて、毎晩、宿舎の向かいのすし屋で飲んでいました。
僕たち3年生はかなり早い段階でお土産を買ってたんじゃないかな? 僕たちはもう、いつ徳島に帰ってもいいと思っていた。むしろ、早く帰りたかったくらい(笑)」
池田は2回戦で日大二(東京)に4-3で競り勝ち、3回戦で都城(宮崎)を5-3で下して準々決勝進出を果たした。エースで4番を担っていた畠山は本調子からほど遠かったが、池田の「やまびこ打線」は3試合連続でふた桁安打を放っていた。
「準々決勝の早実戦の前にミーティングがありました。普段はやらないんですけど、蔦先生も気合が入っていたんでしょう」
江上の一発が導火線になって爆発
早実との試合で、池田打線は1回から荒木をとらえた。ワンアウト一塁の場面で、ひざ元に曲がるカーブを2年生の三番打者、江上光治がフルスイング。打球はライトスタンドへ吸い込まれ、2点を先制した。2回裏には4本のヒットを集めて3点を追加。東西の横綱対決は、早くも5点差がついた。
一方の早実打線は、畠山の力のあるストレートを打ち返すことができず、5回まで0行進が続いた。
「大輔が驚いたのは、江上の打球でしょう。あのカーブを打ったことで計算が狂ったと思う。一番得意とするカーブが投げにくくなったんじゃないかな。普段めったに打たない江上のまさかのホームランで、こっちは『いける!』と盛り上がりました」
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