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熊本の公立校に伝わる「PLの遺伝子」。
62歳の新監督が描く壮大な夢 (2ページ目)

  • 加来慶祐●文・写真 text&photo by Kaku Keisuke

 定年を機に地元に戻ると、不祥事で対外試合禁止期間中だった菊池高から監督の打診を受けた。「社会人を指導しながら、いつかは高校野球の監督をやりたいと思っていた」と渡邉はこれを快諾した。

「報告・連絡・相談の"ホウレソウ"といった社会人としての基盤を教えているだけですよ。ただ社会に出て、立派に振る舞うには体力は必要。野球の技術以前に人間としての基盤づくりに重きを置いて指導しています」

高校生を指導するにあたり、そう語る渡邉だが、日々の練習ではPL学園で仕込まれ、大学、社会人で磨かれた独自の野球理論が随所に見える。

「そもそも、野球を知らない子が多かった。ボールの直径は約7センチ。そしてホームベースの幅が約43.2センチです。ということは、6個のボールが載る。さらに、内外角の両端をかすめるボールが1個ずつ。つまり、ボール8個分がストライクゾーンとなるわけです。特に、この両端のゾーンをいかに芯でとらえるか。そう考えれば、打席のどの位置に立つのがいいのか、どういうフォームで打てばいいのか。そこを固めないといけません」

 それまでの菊池高ナインにとってはあまりに難しい注文だが、身振り手振りを交えて実践する渡邉の指導を、「素直すぎる」(渡邉)という選手たちは忠実に再現しようとする。1キロの竹バットを使用してロングティーを行なうなどして、選手たちは振る力を身につけていった。

 また、冬場の体力強化も一新した。外野後方にある170メートルの坂道ダッシュを5本から10倍の50本に増やし、ポール間走は制限タイムを設けて目標を明確にした。

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