あえて関西のマイナー大学を選んだ男が「低い構え」でドラフトを待つ (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

「奈良学園大からプロに進むのが難しいことはわかっていました。それでも、結果を出せばいけるはずだと。バッティングに自信が出てきたこともありますが、1年から圧倒的な数字を残したら絶対にプロのスカウトも興味を持ってくれると信じていました。自分のなかでは、1年からレギュラーになって(大学選手権が行われる)神宮に行って、2年の神宮で活躍して、名前を売る......そんなプロ入りのプランもできていました」

 思惑通り、1、2年にレギュラーとして大学選手権に出場。しかし、チームはともに初戦負けし、宮本も十分なアピールをできなかった。「このままじゃ目立たないまま終わってしまう」と焦りを感じていたという。それでも、2年の秋にある強豪社会人チームの練習に参加し、直後に「卒業したらぜひ来てください」と誘いを受けた際は、迷うことなく断りを入れた。

「あのときも相談した人から『社会人からでもプロに行けるチャンスはある。絶対に行った方がいい』と言われました。大半がその意見で、大学からプロに行きたいという僕の気持ちを理解してくれたのは、高校のときの担任の先生ぐらいでした(笑)。でも、考えは変わらなかったです」

 大学2年の秋の時点で、プロでプレーする可能性は決して高くなかった。周囲が社会人行きを勧めたの当然だった。しかし宮本は、誰よりも自分の可能性を信じ、リーグ戦では圧倒的な数字を残してきた。

1年春 .303

1年秋 .452

2年春 .395

2年秋 .281

3年春 .556

3年秋 .419

4年春 .543

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