73歳と75歳の超ベテラン監督が語る「甲子園で指揮をとる幸せ」
ベテラン監督3人の「甲子園物語」・後編
73歳になる大垣日大(岐阜)の監督、阪口慶三の耳に今も残っているのが、東邦(愛知)の監督時代に浴びせられた当時の校長の声だ。
「中京に負けるために君を呼んだんじゃない。なんでもっと勉強しないんだ!」
阪口は廊下にまで響きわたる激しい叱責を、東大野球部出身の校長から受けた。当時、野球部だけでなく学校としてもライバル関係にあった中京(現・中京大中京)に敗れたあとの言葉は、特に尖っていた。
東邦、大垣日大で指揮を執り、甲子園で優勝1回、準優勝3回を達成している阪口慶三監督 阪口が中学3年時、愛知県内の有力校からいくつか誘いを受けるなかで東邦進学を決めたのは、「純白のユニフォームにひと目惚れしたから」だった。投手兼一塁手として甲子園にも出場したが、中京には勝てなかった。
卒業後、愛知大に進み野球部に在籍するも、将来は銀行マンになろうと考えていた。大学で教職課程を取ったのも、実はそのためだった。
「銀行マンといえば、東大、京大卒のエリートが多い。そのなかで学生時代は野球をやっていてキャプテン。4年で卒業して、教職も取っているとなれば、『よう努力しとるな』『面白そうなヤツだな』と思われるんじゃないかと。それで教職を取ったんです」
しかし、そこへ東邦からの誘いがあり、1967年に教員として母校へ戻った。野球部を手伝ってくれとは言われたが、当然、コーチだと思っていた。ところが、4月1日に学校へ向かうと、校長からこう言われた。
「今日から監督をやってくれ。今のままでは中京を破ることはできん。中京に勝つ野球を考えてみよ」
黙って頷くしかなかった。直後の春の県大会で1回戦負け。様々な代のOBから連夜の呼び出しを受け、「あそこはバントだろ」「なんでスクイズしないんだ」といろんな意見を頂戴した。
「天下の名門には姑がいっぱいおったからね(笑)」
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