71歳の智弁和歌山・高嶋監督は
通算63勝でも「結果を出すしかない」

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

ベテラン監督3人の「甲子園物語」・前編

 8月4日に行なわれた抽選会。組み合わせが決まると49代表校の監督、主将は別室へ移動し、囲み取材が始まった。西谷浩一(大阪桐蔭)、馬淵史郎(明徳義塾)、鍛冶舎巧(秀岳館)、我喜屋優(興南)......。さすがは夏の甲子園らしく役者が揃うなかに、ひと際大きな存在感を放つ超ベテラン監督たちもいた。

 71歳・高嶋仁(智弁和歌山)、73歳・阪口慶三(大垣日大)、76歳・大井道夫(日本文理)。古希を過ぎてなおグラウンドに立ち続ける3監督だ。

「『70代の監督が人いますが、どうですか?』と言われてもなあ......」

 そう苦笑いを浮かべた高嶋だったが、こうも言った。

「まあ、ようこれだけ長いことやってきたな、というのはあるけどな」

甲子園で監督最多となる63勝を記録している智弁和歌山・高嶋仁監督甲子園で監督最多となる63勝を記録している智弁和歌山・高嶋仁監督 長崎県の五島列島出身の高嶋は、長崎海星時代の2、3年時に夏の甲子園へ出場。特に2年時の入場行進で味わった感動が指導者を志す大きなきっかけとなった。そのためには大学で教職を取らなければならない。しかし実家の経済状況は厳しく、すぐには言い出せなかった。

 ところがある日、息子の夢を知った母が「お金のことは心配せんでええ」と言ってくれた。高嶋も1年間、五島へ戻り進学資金の足しにとアルバイトをしたが、何より心に残っているのは母への思いだ。

「高校へ行くときも五島から出るというので働いてくれて、大学のときもお袋の妹がやっていた洋装店を手伝って費用を工面してくれた。本当に感謝しかないし、そんな思いをしてまで野球をさせてもらったんやから、辞めるなんて絶対にできんという気持ちやったんです」

1 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る