アフリカから甲子園。おかやま山陽・堤監督の奇想天外な野球ロマン人生 (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami SHiro
  • photo by Kyodo News

「『初めてやると面白そう』となって、2回目の授業では一気に200~300人の生徒が集まるんです。でも、グラブは20個ほど、バットにいたっては2本しかないから、ほとんどの子どもたちが道具に触れることができないんです。それで3回目には5~6人になって、『ベースボールはつまらない』と。そう言われるとショックで、『違う、違う、ベースボールは面白いんだ。やったら面白いんだ』と言っても伝わらない。とにかく、日本の知り合いに連絡を取って、野球道具を送ってもらうのが大きな仕事でしたね」

 当初は現地の大人たちの反応も冷ややかで、突然、石やとうもろこしの芯を投げつけられることもあった。それでも「自分たちの国の子どもに新しい遊びを教えてくれる謎の東洋人みたいな感じで、徐々に受け入れられるようになっていったんです」と堤は笑った。

 野球を広めるための"種蒔き"の2年間は、充実のなかで終わった。帰国後は「貧富の差はなぜ生まれるのか」のテーマを勉強するため、大学院へ通った。ところが、それからまもなくして、外務省の関係者から連絡が入った。シドニー五輪へ向け、国として友好関係にあり、支援を続けてきたガーナで野球指導をしてほしいという依頼だった。

 現場の空気が懐かしくなり始めていた時期、大学院を休学すると、堤はすぐさまガーナへ飛んだ。ジンバブエでは堤が先頭に立って動いたが、組織だったものにしていかないと継続的な支援は続かないと実感。ガーナではそれなりに野球のできるナショナルチームを堤が指導し、普及に向けた子どもたちの指導はナショナルチームの選手に任せた。

 結局ガーナは、シドニー五輪のアフリカ予選で3位に終わり、本大会出場はならなかったが、ここでも地元の野球熱を上げ、活動を終えた。

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