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「末代の恥」から6年。開星前監督・野々村直通が見た甲子園 (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 だが、内心は不安に思うこともあったのだろう。当時、喜代子さんはこんな願掛けをしていたという。

「洗濯物を干すときに、この人の下着をいつも白いハンガーにかけて干していました。(敗戦や危険を想起させる)黒や黄色のハンガーにはかけないようにしていたんです」

 そして、喜代子さんは続けて「でも、そのときこの人自身が干されていたんですけどね」とオチをつけて笑った。

 その後、開星高の野球部保護者が中心となって、野々村氏の監督復帰嘆願署名運動が起こり、約8000名分の署名が集まった。そのなかには向陽高の保護者の署名も入っていたという。そして事件から1年後の2011年に監督復帰すると、同年夏の甲子園で1勝を挙げる。さらに、この大会で優勝することになる日大三を相手に、8対11と善戦した。

 同年限りで開星高校を定年退職したため、結果的にこの夏の甲子園が野々村氏の「花道」となった。ちなみに、野々村氏は夏の甲子園が終わった後の9月に鼠径ヘルニア(脱腸)の手術を受け、期せずして「腹を切った」ことはあまり知られていない。

 現在は教育評論家として講演活動をするかたわら、松江市に「にがお絵&ギャラリー ののむら」をオープンさせ、観光客や訪れた野球関係者に似顔絵を描いて過ごしている。野々村氏の似顔絵の腕前は、島根県警に対して長年、似顔絵講師をしていたほどだ。

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