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レジェンド社会人・西郷泰之の伝言「死に物狂いで野球をやろう」 (2ページ目)

  • 中里浩章●文 text by Nakasato Hiroaki
  • 甲斐啓二郎●写真 photo by Kai Keijiro

―― その本塁打記録については12年に並びましたが、当時の心境は。

「何と言うか、力みもなく自然に出たという感じでした。『あと1本』って強く意識したわけではなく、自然とたどり着いた感覚ですね。ただ、そこからの1本がどうしても出なかったので、結局はそれが自分の実力。そこまでの選手だったんだと思います」

―― ただ、14本のうち9本は木製バットで打ったもの。それで金属バットを使用していた時代の記録に並んだというのは、すごく大きなことのようにも感じるのですが......。

「それはそうなんですけど、記録は記録として残っているわけですからね。自分には追い越せるだけの技術がなかったんだと思いますよ」

―― 翌13年以降はずっと「新記録なるか」と騒がれるようになり、相当な重圧があったと思います。

「でも、そうやって注目されるのはうれしいことでした。自分としても、それをひとつのやりがいとしてやっていましたから。結果を残せなかったのは自分の実力不足。特に最近は試合に出る機会も少なくなり、代打の1打席で仕留めなければならないという難しさがありました」

―― 14年シーズンは打撃コーチを兼任しましたが、気持ちの部分で変わったことはありましたか。

「それまではずっと自分のことばかり考えてやってきたんですけど、他の選手の打撃を見ることでプラスになることもあるなと。ただ1年間やってみて、やっぱり中途半端にやりたくはなかった。本当に都市対抗で本塁打を打つのであれば、選手に専念して勝負をかけていきたいという想いがあって、それを監督に伝えました。そういう意味でも、15年に懸ける想いは強かったですね」

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