川崎憲次郎の投球に解説者が「おかしい」。不気味なほど調子がよかった

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

西武×ヤクルト "伝説"となった日本シリーズの記憶(47)

【エース】ヤクルト・川崎憲次郎 前編(前回の記事はこちら)

 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

 1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、黄金時代を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。両チームの当事者たちに話を聞く連載の24人目。

 第12回のテーマは「エース」。前回の西武・工藤公康に続いて、今回はヤクルト・川崎憲次郎のインタビューをお届けしよう。

1993年の日本シリーズ第4戦で先発したヤクルトの川崎 photo by Sankei Visual1993年の日本シリーズ第4戦で先発したヤクルトの川崎 photo by Sankei Visual【野村監督が取り組んだ「意識改革」】

――スワローズとライオンズが激突した1992(平成4)年と、翌1993年の日本シリーズについて、当事者の方々に思い出を語っていただいています。

川崎 もう25年以上も経っているのに、今でもこうして取材していただけるんですから、当事者としては、やっぱりすごく嬉しいですね。

――川崎さんがスワローズ入りしたのは1989年。当時はまだ低迷期であり、関根潤三監督が池山隆寛選手、広沢克己(現・広澤克実)選手を積極的に起用し、若手の台頭を促していた時期でした。そして、翌1990年からは野村克也監督が就任。川崎さんご自身も、チームの変革期を目の当たりにしていますね。

川崎 そうですね。野村さんが監督になって、最初に取り組んだのが選手たちの「意識改革」でした。みなさんご存じのように、キャンプ初日から野球とはまったく関係のない「人間とは何か?」から始まる長いミーティングを通じて、選手たちの考え方を変えるところから始まったと思います。

――それまでのミーティングとは、どのように違ったのですか?

川崎 もう、全然違いますよ。それまではサインの確認や、門限についての説明をしたりするだけでした。でも、野村監督になってからは、休日の前の日以外は、毎晩1時間から1時間半くらいかけて、「人間とは?」「仕事とは?」「人生とは?」と、野球とは関係のない話ばかりでしたから。野球の話になるのは、キャンプインしてから3日目ぐらいからでした(笑)。よく覚えているのは、「野球を辞めてからのほうが人生は長いのだから、人間として、社会人として、きちんとしていなさい」と言われたことですね。

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