初の日本一直後に不穏な空気。
八重樫幸雄が明かす広岡ヤクルトの不和

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

連載第6回(第5回はこちら>>)

【広岡さんはまったく妥協のない人だった】

――前回に続いて、ヤクルトスワローズを初優勝に導いた広岡達朗さんについて伺います。前回、八重樫さんは「広岡さんが監督になってから、強くなっていく実感があった」と話していましたが、その理由は何だったと思いますか?

八重樫 反復練習を何度も繰り返す厳しさが功を奏したんじゃないのかな? 何度も何度も基本練習を繰り返し練習させられたから。

1978年に日本シリーズを戦った、ヤクルトの広岡達朗監督(左)と阪急の上田利治監督 photo by Sankei Visual1978年に日本シリーズを戦った、ヤクルトの広岡達朗監督(左)と阪急の上田利治監督 photo by Sankei Visual――先日、広岡さんにお話を伺ったんですけど、その時に「反復練習の効用」を話していました。要約すると、「何度も反復練習を繰り返すことによって、頭ではなく体が覚える。つまり、大脳で考えるのではなく、大脳を経由せずに自然に小脳が反応するようになる。そうなれば、本当に身につけたことになるんだ」ということでした。

八重樫 そうなの? そういう説明を受けたことがないからわからないけど、何度も何度も同じ練習をさせられたよ。でも、僕ら中堅から若手選手は広岡さんの言葉を素直に受け入れて必死に取り組んでいたのは、すごくよく覚えています。

――前回の尾花高夫さん同様、当時若手だった水谷新太郎さん、角富士夫さんは相当、鍛えられたといいますね。

八重樫 僕は中西太さんとつきっきりで打撃練習をしたけど、水谷や角は広岡さんがつきっきりで守備の指導をしていたよね。遠征先の廊下で広岡さんがボールを転がして、それを水谷が素手で捕球する。そんな練習をいつもしていたから。

――角さんも同様のことを言っていました。「初めは転がしたボールを素手で捕るところからスタートして、次に足の運びをきちんと意識しながら、素手で軽めのノックを捕る練習。それをクリアすると、ようやくグラブを持つことが許された」とのことでした。

八重樫 広岡さんはまったく妥協しない人でしたから。自分が描いている理想通りに捕るまで終わらない。「はい、よくできました」となるまでに、最低でも1時間はかかっていた。そして、絶対に自分で見本を見せるんですよ。

――そして、「普段はまったく白い歯を見せない人」なんですよね。

八重樫 そう、そう(笑)。笑っているところを一度も見たことがない人だったから、僕にとっては今でも「怖い人」というイメージが強いですね。当時、コーチだった森(昌彦/現・祇晶)さんは自分から話しかけてきてくれて、いろいろ教えてもらったから、そういうイメージはないんだけど。

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