初の日本一直後に不穏な空気。八重樫幸雄が明かす広岡ヤクルトの不和 (3ページ目)
――打席に入って、最初からトップの位置を固定して、ヒッチやスウェイすることなく、反動を使うこともなく、そのままバットを振り下ろす感じですか?
八重樫 そうそう。少しでも動いたらダメ。的確にとらえることを重視して、遠くに飛ばすというのは、その人の持っている資質で勝負する。その選手の持っているもので勝負するという考えでしたね。僕には合わなかったけど、船田(和英)さんには合っていたみたいで、「あの理論はいい」って言っていたな。最初に体を開いてヘッドを残したまま回転をするんだけど、「この理論でオレは変わった」って言っていましたよ。
【日本一から最下位への転落は「サイン会をしなかったから」】
――1978年、広岡監督の下、ついに創設29年目でチームは初の日本一に輝きます。この年の日本シリーズでは、当時の「絶対王者」阪急ブレーブスとの戦いでした。下馬評では圧倒的に「阪急有利」の声が強かったですよね。
八重樫 あの時は、「とにかく4戦以上はやろう」と、みんな考えていました。とにかく、4タテを食らうことだけは避けたかったから(笑)。だから、誰も優勝できるなんて思っていなかったと思いますよ。
――あの年は学生野球の関係で、本拠地の神宮球場で試合ができず、後楽園球場をホームとして戦いましたね。
八重樫 そうそう(笑)。「何で、神宮を使えないんだ」って思ったもの。後楽園球場のグラウンドに立っても、全然「うちらのホームだ」って感覚はなかったからね。
――後楽園球場はあくまでも巨人の本拠地であって、ヤクルトにとってはビジター球場のひとつですからね(笑)。
八重樫 そうだよね。このシリーズで忘れられないのは、3勝3敗で迎えた第7戦。大杉(勝男)さんがレフトポール際に打った大飛球かな?
――「ホームランか、ファールか?」で揉めに揉めたプロ野球史に残る大事件ですね。レフト線審は「ホームラン」とジャッジしたけど、阪急・上田利治監督は「ファールだ」と猛抗議。結局、1時間19分の中断の後にホームランとなりました。
八重樫 あの時、一塁側ベンチから見ていて、僕は「ポールを巻いてホームランだ」と思ったけど、別のところに座っていたヤツは「あれはファールだ」って言うんだよ。それで、「ファールになったら困るな」と思いながら、ドキドキして見ていた(笑)。
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