2019.09.26

八重樫幸雄に巨人レギュラーの可能性
「トレードの話があったみたい」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

連載第5回

(第4回はこちら>>)

【長嶋茂雄が望み、広岡達朗が断った「巨人へのトレード」】

――八重樫さんが若手だった頃の指揮官・三原脩監督について、これまでお話を伺ってきました。三原監督の後に荒川博さんがチームを率いたものの、1976(昭和51)年シーズン途中に成績不振のために辞任。ヘッドコーチから昇格したのが広岡達朗さんでしたね。

八重樫 1976年といえば、僕にとってはプロ7年目のことでしたね。僕にとっての広岡さんは「とても厳しい人だな」っていう印象かな? だって、コーチとしてヤクルトに入団してから、1979年に監督を辞任するまで、一回も笑ったところを見たことがないんだから。

――またまたぁ。八重樫さん、話を盛りすぎですよ! 広岡さんがコーチに就任したのが1974年シーズンで、監督を辞任するのが1979年シーズン途中のことですよ。5年以上も間近で接してきて、「一回も笑っていない」ってことはないでしょう(笑)。

八重樫 いやいや、本当。本当に一回も笑ったところを見たことがないんだから。その後、1982年から広岡さんは西武ライオンズの監督になるでしょ? ある時、ベンチに座る広岡さんの姿をテレビで見てビックリしたことを、よく覚えているよね。

――何でビックリしたんですか?

八重樫 だって、広岡さんが笑っていたから(笑)。それぐらい、広岡さんが笑ったところを見たことがなかったんだよ。思い返してみれば、(1978年の)初優勝を決めた試合、試合後のグラウンド一周で握手をした時に、少しだけ白い歯が見えた。それ以外、白い歯さえ見た覚えがないくらいだもの。

1978年のリーグ優勝決定後、グランドに乱入したファンの前で挨拶する広岡監督 photo by Sankei Visual――今までいつも、決して大げさなことは言わなかった八重樫さんがそこまで言うのなら、さすがに僕も信じます(笑)。ところで、当時のヤクルトには、同期入団でありながら4歳年上の大矢明彦さんも在籍していました。広岡さんの中では、「大矢・八重樫の二枚看板」という考えだったんでしょうか?

八重樫 どうかな? たぶん、大矢さんを中心に起用しながら、僕を育てていこうとしていたんじゃないかな? そうそう、「この頃、長嶋(茂雄)さんから、トレードの打診があった」って、現役引退後に知らされたんだよね。

――えっ! 当時、巨人監督の長嶋さんは「八重樫がほしい」と考えていたんですか?

八重樫 うん。そうだったらしいね。どういう意図でトレードを希望して、交換要員が誰だったのかとか、詳しいことはわからないけど、「広岡さんが断ったんだ」と、親しい新聞記者から聞いたんだよね。