社会人7年目は指名漏れに涙。
攝津正がプロ入りに8年要した意外な真実

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

 権藤、権藤、雨、権藤──今から60年ほども前のこと、あるスポーツ新聞の見出しに、このような大きな活字が躍ったという。

 当時、中日ドラゴンズのエース・権藤博が文字通り「孤軍奮闘」の働き。先発・完投で勝った翌日は試合後半のリリーフでマウンドに駆けつけ、雨で中止の1日をはさんで、また先発のマウンドに上る。

 そんな大奮投ぶりを、簡潔明瞭な短文で表現した「傑作見出し」として、今でも多くの人の記憶に残っている。

 まったく同様の状況が、今から10年ほど前の社会人球界にも、実際にあった。

2012年には最多勝、沢村賞に輝いた攝津正2012年には最多勝、沢村賞に輝いた攝津正 攝津、攝津、雨、攝津──見出しにはならなかったが、当時、JR東日本東北(仙台市)が大会に出場すると、それが都市対抗のような大きな大会ほど、試合のたびに「攝津正」が先発で登板してほぼ完投。勝ち上がった次の試合では、今度は勝負どころのリリーフを受け持って、おっとり刀でマウンドに駆けつけたものだった。

 もちろんチームには、ほかの投手がいないわけではなかった。しかし、攝津ほどの精緻なコントロールと安定した実戦力を備えた投手はなかなかいない。おのずと、「攝津依存型の投手編成」になったのだろう。

 2001年に秋田経法大付高(現・明桜高校)から入社して、早くも3年目の2003年シーズンから主戦投手としてチームを背負い続けた。

 決して剛腕ではない。球速はアベレージで135キロ前後。スライダー全盛の時代に、攝津の武器はタテに割れるカーブにシンカー。なかでもシンカーの使い方が見事だった。

 低めのストライクゾーンからボールゾーンに落とすシンカーは、ストレートかと思うほどの速い変化。そのシンカーを高めにも使っていた。高めといってもストライクゾーンではない。打者の目の高さから落として空振りを誘う。目の高さで物が動くと、人は本能的に反射してしまう。たとえば、目の近くをハエや蚊が飛ぶと、思わず手で払ってしまう。そのように反射動作を利用して空振りを奪っているのではないか......そんな高等技術を持った投手に映った。

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