【自転車】シマノのエース・畑中勇介がTeamUKYOに移籍したワケ

  • 西村章●構成・文・写真 text & photo by Nishimura Akira

遥かなるツール・ド・フランス ~片山右京とTeamUKYOの挑戦~
【連載・第73回】

 2009年から6年間、シマノレーシングに所属していた畑中勇介。その彼が今シーズンからTeamUKYOの一員となった。2010年~2011年には2年連続でJサイクルツアー(現Jプロツアー)の年間個人総合優勝を果たしたシマノのエースが、移籍を決断した理由とは――。

(前回コラムはこちら)

畑中勇介のTeamUKYOのサイクルウェア姿も馴染んできた畑中勇介のTeamUKYOのサイクルウェア姿も馴染んできた 2015年からTeamUKYOに所属し、現在Jプロツアーの個人部門ランキング首位につけている畑中勇介は、2009年から2014年までシマノレーシングチームに所属していた。長年在籍していたシマノを離れ、TeamUKYOへ移った理由のひとつは、「今年のシマノは選手層がかなり若返ったから」なのだという。

 昨年に畑中のチームメイトだった吉田隼人はマトリックス・パワータグに移籍し、野中竜馬はキナン・サイクリングチームへ移った。現在のシマノレーシングは26歳の入部正太朗を筆頭に、20歳前後から20代前半の選手が中心メンバーで、若手育成チームのような位置づけとなっている。

「まだ先生にはなりたくない。先輩でありたい」と、つねづね考えている畑中にとって、このチームの若返りは、「ああ、これはちょっと厳しいな......」と感じざるをえなかった。

「吉田隼人や野中、入部と一緒にやっていれば、僕はただの先輩だったし、彼らと練習やレースをすることで自分自身を高めることもできていた。でも、さらにそのひと世代下になると、先生にならなきゃいけないんです。

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プロフィール

  • 片山右京

    片山右京 (かたやま・うきょう)

    1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。

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