【自転車】Jプロツアー個人首位・畑中勇介が語る「TeamUKYO」

  • 西村章●構成・文・写真 text & photo by Nishimura Akira

遥かなるツール・ド・フランス ~片山右京とTeamUKYOの挑戦~
【連載・第72回】

 2010年のジャパンカップ3位入賞や、2012年の世界選手権・日本代表選出など、プロロードレーサーとして数多くの実績を残している畑中勇介が、2015年シーズンからTeamUKYOに加入した。新天地で挑んだ今シーズンの前半戦について、畑中に振り返ってもらった。

(前回コラムはこちら)

シマノレーシングからTeamUKYOに移籍した畑中勇介シマノレーシングからTeamUKYOに移籍した畑中勇介 2015年のJプロツアーで個人部門をリードする畑中勇介は、今シーズンからTeamUKYOに加わった。この6月に30歳の誕生日を迎えた畑中は、昨年までシマノレーシングのエースとして活躍していた。彼の加入はTeamUKYOの戦力増強に大きく貢献しているが、畑中自身もまた、環境が変わったことで選手としてさらに大きな成長を果たせた、と話す。

「強い選手が自分の周りに増えたことが、大きな刺激になっています。特にスペイン人選手たちのレースでの展開力や戦略を目の当たりにすることで、この年齢になっても自分自身の成長を感じられるし、このチームでさらにいろんなことを学んでいきたいと思っています。国内のレースで結果を残せているのはすごいことですよね。どのスポーツでも結果を出すのは簡単なことではないと思うんですが、こんなにスパッと成績が上がるのは、やはり環境による部分も大きいと思います」

 8月22日と23日に三重県・鈴鹿サーキットでシマノ国際ロードレースが開催されたが、22日のチームトライアルで畑中は窪木一茂や山本隼、湊諒とともに出走し、TeamUKYOに優勝をもたらした。そして翌日の国際ロードレースでも、畑中は優勝を飾っている。

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著者プロフィール

  • 片山右京

    片山右京 (かたやま・うきょう)

    1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。

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