水野裕子「芸能界No.1女子アスリートの肩書きは重かった」 完全制覇を逃した『KUNOICHI』は「今も夢に見る」 (2ページ目)

  • 武松佑季●取材・文 text by Takematsu Yuki
  • 柳岡創平●撮影 photo by Yanaoka Sohei

【きっかけはディレクターのひと言】

ーー水野さんは2000〜2002年に「ブランチレポーター」を担当していますね。

 ブランチレポーターってモデル出身の子、バラエティ枠の子、グルメリポートが得意な子などそれぞれに色があって、私は「体を張る担当」だったんです。

 番組ディレクターから「水野は体使って、感情を全身で表現するのが合う」って言ってもらって、公園のアスレチックやバンジーといったアクティビティ系をよくレポートしていました。

 そのなかで『SASUKE』の体験レポートをする機会がありました。結果は、最初のエリアでダメだったんですけど、その次の回でブランチ枠とは関係なく「SASUKE」に呼んでもらえたんです。

数々のスポーツ番組で活躍していた20代の頃の水野さん 写真/事務所提供数々のスポーツ番組で活躍していた20代の頃の水野さん 写真/事務所提供この記事に関連する写真を見るーー「SASUKE」での落ちっぷりがよかったんですかね。

 わかりません(笑)。スポーツ歴は大したことないけど、外で遊び回ってた田舎娘のヤンチャさがいい方向に出たのかな?

 そこから「クイーンズチャレンジバトル」(※女性芸能人版の「最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦」。水野さんは全3大会で総合3連覇)や「KUNOICHI」(※女性版「SASUKE」)などTBSのスポーツ特番に出演するようになり、K-1レポーターをやったり、格闘技に挑戦したり......という感じです。

ーーそして、「芸能界No.1女子アスリート」と呼ばれるようになりました。

 でも自分としてはスポーツで実績を残したこともないし、その肩書きはものすごく重かったんですよ。

 ナショナルレベルのプロアスリートからタレントに転向するパターンもあるので、そういう方には運動能力的に絶対かなわないのに、「クイーンズチャレンジバトル」などでそんな肩書きを背負わされて同じ枠組みで戦わなきゃいけない。それが本当にプレッシャーで......。

ーー芸能界を代表して戦わなきゃいけないわけですもんね......。もっとも印象に残っている仕事は?

 2003年秋の「KUNOICHI」第3回大会ですね。ファイナルステージの最後の最後の「天空棒」(※5mの鉄棒を体ひとつで登る種目)でボタンのタッチが0.1秒くらい遅くて完全制覇を逃した光景はいまだに夢に見ます。

 でも、私のポテンシャルを考えたら、あれが実力も運も使いきった結果なのかなと思うと悔しかったけどあきらめもつきますね。

現在もピラティスや筋力トレーニングなどを続けている現在もピラティスや筋力トレーニングなどを続けているこの記事に関連する写真を見る

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