武術太極拳で世界一も16歳で競技引退。山本千尋が葛藤のすえ選んだ道 (4ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • 立松尚積●写真 photo by Tatematsu Naozumi

 そんな迷いがあった時、競技生活を続けるかどうかを考えるうえで、思いもしなかったターニングポイントが訪れる。

「『スター☆ドラフト会議』というテレビ番組に出させてもらったんです。その時はまだ世界大会に行く前でした。自分がミーハーというか田舎者だったので、『テレビに出られる!!』みたいな気軽な気持ちで出演したら、その後いろんなお仕事でお声がけをいただいたりして。新しい道を考える瞬間が生まれたんです」

 そんな葛藤や新しい発見があったなかで出場した世界ジュニア武術選手権大会が、競技生活の最後の大会となった。

「いろんな思いがあっての大会でした。『やっと行ける、世界大会に』って」

 世界大会に出場できた喜びなど様々な思いを胸に出場した結果、先ほども記述したとおりのすばらしい成績を残した。

 そして大会後、競技への思いを断ち切り、こう考えるようになる。

「中国武術をオリンピック競技にしたい。そのためにも自分が少しでも競技を広められる立場になりたい。そう思ったのが、女優を志すきっかけになったんです」

 16歳という若さで競技生活に別れを告げることを決断。一般的にはあまりにも早すぎると思われる"引退"。それに対してまわりの反応はどうだったのだろうか。

「正直みんなの本音はわからないですけど、誰からも反対はされませんでした。両親もビックリはしていましたけど、『いいじゃん』と言ってくれて。『応援するし、無理だったってくじけたら、いつでも帰ってくる場所があなたにはあるのだから、したいことに挑戦してみなよ』と。武術の先生が一番悲しむだろうなと思っていたのですけれども、コーチも逆に喜んでくれたんです」

 それは、「中国武術の魅力をもっと広めたい」という思いを知っていたからこそだったのだろうか。

「それもあると思います。『もっとビッグになってね』と言われました。それに『千尋はもっといろんなことを経験したほうがいいよ』とも言ってくれたんです。

 でも、じつは後から聞いた話だと、やっぱり私が選手を続けなかったことにすごく悲しんでいたみたいで。

 それでも、私に対しては『千尋が決めた道だから』って応援してくれたんです。今はまだ私のなかでまわりの人たちに恩返しができていない状況だと思っているので、もっともっと頑張らないとなって思っています」

(後編はこちら)

Profile
山本千尋(やまもと・ちひろ)
1996年8月29日生まれ、兵庫県出身
趣味:映画鑑賞、サイクリング、スポーツ
特技:中国武術、英会話、殺陣
舞台『INSPIRE陰陽師』(日生劇場/12月31日、1月2~6日)に出演

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