馬淵優佳が超保守的な自分に後悔 「これでいいや」を払拭し「ちゃんと攻めた」過去を明かす
今後の人生についても語った馬淵優佳 photo by Ishikawa Takaoこの記事に関連する写真を見る
馬淵優佳 インタビュー後編
インタビュー前編「馬淵優佳が新たなスタートに立つ」はこちら>>
4月から滋賀・立命館ダイビングクラブの選手クラスで指導者として再スタートを切った馬淵優佳。インタビュー後編では自身の過去を振り返りながら、子育ての難しさなどについても聞いてみた。
【平日4時間、土日8時間】
――馬淵さんはお父さん(馬淵崇英氏)が飛込のコーチとして日本のトップ選手を指導し、ご自身も3歳から水泳をやり始めています。自分の家が他とは違うと感じたのはいつ頃でしたか。
小学校4年生くらいですかね。本格的にトップを目指すチームで練習し始めてから、飛込一色の生活になったので、特殊な家庭なのかなと思いました。
――他の子と同じように自分も遊びたいなと思ったことはありましたか。
毎日思っていました。毎日夕方5時から9時まで練習していましたので、今思うと、宿題をいつしていたんだろうなと。それでもみんな練習をやっていました。今自分が子供ふたりを育てていて、習い事や子育てのことを知ったときに、あらためて自分の子供のときはすごい環境にいたんだなと思います。だいたい習い事って週2とかじゃないですか。それを平日4時間、土曜日・日曜日は8時間くらい練習をしていて、大人になった今は、そんな体力絶対ないですから。指導者になって、どうすれば効率よく練習をこなせるかが課題ですね。
――当時は他にどんなことをやりたかったですか。
プールの隣にテニスコートがあって、やっている人たちがみんなすごく楽しそうなんですよ。それをいいなと思いながら見ていました。あとはダンスもやりたかったですし、遊びたかったし、そういう思いはずっとありましたね。めちゃくちゃうらやましかったです。
――それで中学3年のときに飛込を辞めるとお父さんに伝えたんですね。
聞き入れてもらえませんでしたね。なんで他のことをやらせてくれないんだろうと。今では親なりの信念があったと思っています。私も子供が生まれて、子育てしていますが、両親は「ひとつのことをやり抜きなさい」と私の子供に伝えています。この教育方針が私の小さい頃からあったのかなと思います。今振り返ってみると、飛込を続けてきてよかったなと思っています。
1 / 4