【マラソン】「どうしても出たい」わけではなかった箱根駅伝 亜細亜大・竹井祐貴が関東学生連合として9区を走るまで (2ページ目)
【「なぜ亜大?」驚かれた進学と、箱根予選会の苦い記憶】
その進路選択の決め手になったのは、高2の冬に走った鹿児島県下一周駅伝だった。鹿児島では、毎年2月に5日間全53区間(全500km以上)で襷をつなぐ、全国でも類を見ない駅伝が開催されている。竹井はそこで区間賞を獲得した。
「この駅伝がけっこう楽しかったので、最終的には陸上を続けるのもアリだなって思ったんです。また、ちょうどそのタイミングで鹿児島に視察に来ていた亜細亜大の佐藤(信之)監督(当時)に『練習会に参加しなよ』と声をかけていただいたんです。そして、トラックでのポイント練習が終わると、『今日来てくれたから君を取るよ』と言われました。めちゃくちゃ急展開ですけど、なんか面白そうだなと(笑)。直感的に、ついていこうと思いました」
だが竹井は、亜大が2006年に箱根駅伝を制した伝統校であり、低迷期を経て名門復活を目指していることを知らなかった。そもそも箱根駅伝についてもそれほど興味があったわけではなかった。「この区間を走りたい」「どうしても出たい」ではなく、「出られるなら出たい」程度だった。
「それでも箱根に出られるならいいなと思い、佐藤さんに『箱根に出られますか?』と聞いたんです。スカウトなら普通はどんなに難しくても、『頑張れば出られるよ』とか『可能性はあるよ』とか言いますよね? でも、佐藤さんは『いや、わからない』と(笑)。すごく正直というか、それが逆にいいなと思ったんです。人間的なところに魅力を感じました」
その後、ある箱根常連校の監督が県大会の視察に来てくれた際、「(進学先は)亜大を考えています」と伝えると、「なぜ亜大?」とかなり驚かれた。確かに、当時の亜大は8年連続で箱根駅伝出場から遠ざかっていた。それでも竹井は「可能性はゼロではない」「目指すなら佐藤さんと一緒に挑戦したい」と、最初に声をかけてくれた亜大への進学を決めた。
亜大入学後の初めての寮生活は楽しかった。先輩も優しかった。そんななか唯一、面食らったのが練習だった。
「高校時代と比べ、一気に練習の量と質が上がったので、最初はついていくのが大変でした。ようやく夏頃には慣れてきて、箱根予選会のメンバー選考の段階までは残れたのですが、レース3週間前に右脚のシンスプリント(すねの内側の痛み)を発症し、出場はかないませんでした。チームもあと一歩のところで予選会通過を逃し、すごく悔しかったです」
竹井の1年時の予選会は、記念大会のため上位11校が本戦の出場権を得られた。亜大は11位の上武大から2分03秒差の13位だった。続く2年時の予選会は22位(竹井の個人順位は190位)、3年時は20位(同83位)、そして、ラストチャンスとなる4年時も22位(同35位)に終わった。
「(最終年を前に)同期とは自分たちの代が引っ張っていけるようなチームにしようと何度も話し合いをしました。でも、結果を出せなかった。うまくいきませんでしたね」
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