【箱根駅伝 名ランナー列伝】服部翔大(日本体育大学) 4年連続区間2位以内の実力と3年生主将として名門に30年ぶりの総合優勝をもたらした5区の激走 (2ページ目)
【5区の快走でチームの往路&総合優勝に貢献】
日体大は箱根予選会をトップで通過すると、全日本大学駅伝でも4位に食い込んだ。そして東洋大、駒大、早大が優勝候補に挙がっていた2013年の箱根駅伝で"覚醒"する。
当時の5区は最長区間の23.4km。服部はトップの東洋大と1分49秒差で走り出すと、浮上してきた早大・山本修平とともに前を追いかけた。そして「鉄紺」東洋大の背中に迫っていく。14km付近で定方俊樹を大逆転すると、17km付近で山本を引き離す。2位の早大に2分35秒差をつけて、26年ぶりの往路Vをもぎとった。
強い向かい風に阻まれ、タイムは1時間20分35秒と伸びなかったが、区間2位の選手に2分近い大差をつけての区間賞。「山の神」と呼ばれた東洋大・柏原竜二が去った箱根5区の"新王者"に君臨した。
「初めて5区を任されましたが、2分差くらいなら逆転できるかなと思っていたんです。後ろから山本選手が追いついてきたので、ふたりで協力しながら、前に進むことができました。特に山頂付近は風が強くて、下りに入っても下り坂を走っているイメージがないほどでした。それでも切り替えることができて、往路優勝のテープを切ったときは、本当にうれしかったですね」
往路をトップで折り返した日体大は復路を快走。3年生に主将を託すことになった4年生も奮起する。7区の高田翔二、8区の高柳祐也、10区の谷永雄一が区間2位と踏ん張り、チームは30年ぶり10回目の総合優勝に輝いた。前年19位から劇的な"V字回復"となり、5区でダントツの区間賞を獲得した服部が金栗四三杯を受賞した。
「8区が終わるまでは油断できないと思っていました。9区の矢野(圭吾)にタスキが渡って、『優勝できるぞ』と思いながら、大手町に向かったんです。総合優勝できて、自分たちがやってきたことが無駄にならなくてよかったと思いました。強い向かい風のなかをチームが一丸となって走ることができましたし、ブレーキもなかった。直前の大島合宿で強い向かい風を経験していて、チームとしてはそれが"追い風"になったと思います。キャプテンとしては走る姿で引っ張りました。先輩たちが言葉をかけてくれたお陰で、チームはまとまったかなと思います」
4年時は優勝候補の一角に挙げられたが、4区終了時でトップの東洋大と6分31秒差の7位。再び5区を託された服部もレース前から左足首に痛みがあったこともあり、4位まで順位を押し上げるのが精一杯だった。服部は1時間19分17秒の区間2位。区間賞は同郷のライバルだった設楽啓太(東洋大)に奪われ、チームも総合3位に終わった。
「どんなタイム差でも自分で追いついてやるという気持ちでした。区間賞を1秒差で逃しましたし、もう少し前との差を詰めたかったというのが本音です。自分の体調をピークに合わせられなかったのは実力ですし、個人としては、最低限の仕事はできたんじゃないかなと思います」
金栗四三杯を受賞したことで「箱根から世界へという気持ちが強くなりました」という服部だが、最終目標に掲げていた東京五輪のマラソン代表には届かなかった。その後、2024年に立正大の駅伝監督に就任。今は指導者として、再び箱根駅伝を目指している。
●Profile
はっとり・しょうた/1991年10月28日生まれ、埼玉県出身。埼玉栄高(埼玉)―日本体育大―Honda―日立物流・ロジスティード。箱根駅伝には4年連続出場し3つの異なる区間ながら全て区間2位以内。主将も務めた3年時は強風に見舞われる悪条件の中、5区区間賞を獲得し、往路優勝とチームの30年ぶりの総合優勝に貢献した。卒業後はHonda、日立物流(現ロジスティード)で競技を続け、2024年からは立正大学の監督を務めている。
【箱根駅伝成績】
2011年(1年)3区2位・1時間03分13秒
2012年(2年)1区2位・1時間02分26秒
2013年(3年)5区1位・1時間20分35秒
2014年(4年)5区2位・1時間19分17秒
著者プロフィール
酒井政人 (さかい・まさと)
1977年生まれ、愛知県出身。東農大1年時に出雲駅伝5区、箱根駅伝10区出場。大学卒業後からフリーランスのスポーツライターとして活動。現在は様々なメディアに執筆している。著書に『箱根駅伝は誰のものか』『ナイキシューズ革命 〝厚底〟が世界にかけた魔法』など。
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