【部活やろうぜ!】三浦龍司の「ちょっと濃すぎる」洛南高校時代 3000m障害ランナーとして築いた礎と他部活の生徒からも刺激を受けた寮生活 (2ページ目)
【3000m障害はデビュー戦から好走し高3で高校記録樹立】
高3時には日本選手権などで そして、高校に入ってようやく、三浦の未来を切り開くことになる3000m障害にも取り組むことになる。中学生の頃に勧誘を受けた際に、陸上クラブの上ケ迫さんにも同席してもらい『3000m障害をやりたい』という旨を伝えていたこともあって、入学して間もなく同種目にチャレンジすることができた。
インターハイ路線の第一歩、地区予選会が最初の試合だった。
「初めての試合はめちゃめちゃ覚えています。先輩からは『自分が遅いなって思うぐらいのペースで入ったほうがいい。そうじゃないと、きつくなるから。3000mの持ちタイムにプラス1分で走れれば上出来だ』と言われていたので、その心づもりはしていました。
それで、だいぶゆっくり入ったつもりだったんですけど、残り1000mで体がパンパンになってしまって、動かないんです。『どんな種目やねん、これ』と思いましたね。それに、水濠も障害も最初はすごく怖かったです。独特な種目だなって思いました」
意外なことに『怖い』というのが3000m障害に対しての三浦の第一印象だった。とはいえ、先輩のアドバイスにもあったとおり、3000mの自己記録プラス1分に満たない9分35秒07で走り、1位で京都府大会に駒を進めている。上々のデビュー戦だった。
「一発目にしては上出来でしたし、レースを重ねるごとにタイムも伸びていました。奥村先生としても手応えがよかったのか、結構チャレンジさせてもらえました。僕も、意外とうまく走れているんだなってわかって、『楽しいかもしれない』って思うようになりました」
3000m障害は上級生になって取り組む選手が多いが、三浦は1年生にして京都府大会でも5位に入賞し、近畿大会に出場した。近畿大会は12位に終わり、全国には行けなかったが、三浦の言葉にもあるとおり、試合を重ねて着実に記録を伸ばしていった。そして、高2の終わりの3月には、アジアユースで初めて日の丸をつけた。
「初めての日本代表っていうのもあって、どんな感じなんだろうな、とか。海外の選手と走るので、強い選手がいるのだろうなとか、いろんなことを想像して、ちょっとドキドキしながら大会に向かいました。重たいものを背負うという感じではなくて、逆に浮き足立っていた気がします」
2000m障害に出場した三浦は、大会新記録を打ち立てて優勝を飾っている。
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