【部活やろうぜ!】陸上3000m障害・三浦龍司が「また行きたいな」と思って通い始めた陸上クラブの楽しさと小中学時代 (2ページ目)
【3000m障害を勧められても「へぇー」という感じでした】
島根県浜田市出身の三浦が陸上競技を始めたのは小学1年生の時。地域の陸上教室でそのキャリアをスタートさせた。
「親の勧めが一番大きかったです。何か夢中になるものを見つけてほしかったっていう思いがあったみたいで、水泳や剣道などいろいろやっていました。ピアノ教室に体験で行ったこともあったんですけど、それはつまらなすぎて1回きりでした(笑)。僕自身が好きだったのが走ることで、それで陸上教室に行きつきました。
田舎育ちなので、子どもの頃は結構体を動かして遊んでいたので、活発な感じだったと思います。小学生の頃は持久走大会ではいつも1番か2番を争っていました」
三浦が週3回通っていた浜田ジュニア陸上教室は『陸上教室』と銘打ってはいたものの、「今思うと独特だった」と言い、楽しく体を動かすことに重きを置いていた。ウォーミングアップ代わりにホッケーをしたり、ジャベリックボール(羽根つきの投てき物)を投げ合ったりしていたという。
「走るだけじゃなくて、投てきや跳躍など陸上競技のいろんな種目を網羅し、楽しみながら体を動かしていくというやり方だったので、陸上競技全般、好きにさせてもらえるようなクラブでした。
その場に行けば友達もいるし、かけっこが好きな人が多かったので、僕にとっては『また行きたいな』と思えるような場所でした。
さまざまな種目に取り組んでみて、走幅跳や走高跳など跳躍種目は『楽しいな』と思いながらやっていました。もちろん長距離は、人より速く走れたので好きでしたし、シンプルに楽しいって思っていました。
でも、短距離は遅かったんです。体格も小さかったので。小学生の頃って体格の差がもろに出るじゃないですか。だから、短距離は嫌いではなかったんですけど、負けてしまうから嫌でしたね」
実は、のちに三浦が3000m障害を専門とするきっかけもこの頃にあった。それが、陸上教室で教えていた上ケ迫(かみがさこ)定夫さんとの出会いだ。
3000m障害は高校から実施される種目だが、上ケ迫さんはまだ幼かった三浦の才能を見出し、将来はこの種目に取り組むように勧めた。
「小学生なので、3000m障害という種目があると聞いても、1ミリもピンと来ませんでした。そんな状態でその種目をお勧めされたので、『へぇー』っていう感じでした」
小学生時代に将来的に3000m障害を勧められても、ピンと来なかったという photo by Murakami Shogo
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