【箱根駅伝 名ランナー列伝】今井正人(順天堂大学):「山の神」の称号を初めて知らしめた衝撃のゴボウ抜き (2ページ目)
【区間延長となった5区で存在感をさらに発揮】
2006年の第82回大会から小田原中継所の位置が変更となり、5区の距離が2.5km延長された。これにより、5区が圧倒的な影響を及ぼす時代が幕を開けることになるのだが、このシーズン、今井は苦しんでいた。4月と9月に右恥骨を疲労骨折。その影響で出雲駅伝と全日本大学駅伝には出場できなかったのだ。それでも、みぞれで凍えた箱根の山を熱くした。
「最初からエンジン全開でいける状態ではなかったですし、山に入るまでにカラダを温める時間ができたのがよかったかもしれません」
6位で走り出すと、1時間18分30秒で区間賞を獲得。1位との2分26秒差をひっくり返して、順大に17年ぶりの往路優勝をもたらしたのだ。しかし、チームは8区で首位から陥落。亜細亜大に優勝をさらわれ、悔しさを味わった。
最終学年を迎えた今井は主将として前年の雪辱に燃えていた。第83回大会(2007年)は、トップの東海大を4分09秒差で追いかけて4位で走り出すと、日体大・北村聡にピタリとマークされる。北村はその年度(2006年度)の日本インカレ10000m王者で、今井のことを「山の神」と最初に表現した選手だ。
「力のある北村君を早く離したいという気持ちで、前半が予定よりもハイペースになり、心理的な部分でも疲弊しました。終盤の約5kmは予定より1分くらい悪くなったんです......」
北村と競り合った影響が出て、後半苦しんだが、今井は自身のタイムを上回る1時間18分05秒で走破。見事、4分09秒差を大逆転して、「山の神」と呼ばれた。今井の大活躍で往路をトップで折り返した順大は6年ぶりの総合優勝に輝いた。
今井は「1時間17分30秒」くらいで走れると思っていただけに、タイムは満足いくものではなかったという。それでも3年連続で金栗四三杯を獲得して、箱根駅伝のレジェンドになった。
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