【世界陸上】村竹ラシッドが振り返る110mハードル5位入賞 レース後に自ら確認できたこととは? (2ページ目)
【メダルに届かなくても成長を感じた】
――予選と準決勝はともに2位通過でしたが、そこでメダルはどう見えていましたか?
村竹 着順はそんなに考えていなかったので、(メダルを目指す)見え方は変りませんでした。自分の感覚で、どれだけ力感を抑えて余裕を持って通過できるかが重要でした。昨年のパリ五輪の準決勝は、記録上位のタイム通過で決勝に進んでいたので、今回は「着順で通過したい」という思いが強くありました。それをちゃんと達成できたのはよかったと思います。
――本気でメダルを狙った決勝の舞台はいかがでしたか?
村竹 悔しさとして色濃く今も(心に)残っているので、これを忘れない限りは今後の練習もまだまだ頑張れると思います。でも準決勝を着順で通過できるだけの実力が身についていることも確認できたし、(2024年パリ五輪と)同じ5位でもタイムは上がっていて、3位との差も0秒06と、相手は違うけど半分まで縮まっていました。それを考えたら去年よりは確実に成長していると思います。
「メダルを目指しています」と言っても違和感を持たれない、「ちゃんと根拠を持って言えるだけの実力は身についている」と確認できた大会にもなりました。
つづく>>
Profile
村竹ラシッド(むらたけ・ラシッド)
2002年2月6日生まれ。千葉県出身。松戸国際高校3年時に110mハードルでインターハイを制す。順天堂大進学後は着実に実力を伸ばし、2022年、大学3年時に世界陸上オレゴン大会に出場。JAL所属となった2024年は、パリ五輪に出場すると5位入賞を果たした。今年の8月にはアスリートナイトゲームズイン福井にて、日本人選手として初の12秒台となる12秒92の日本記録を出した。
著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
フォトギャラリーを見る
2 / 2









