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五輪に二度出場の谷口浩美は、昨年1月に病魔に襲われるも「マラソンのおかげで命を救われた」 (4ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【左手の指先に異変を感じ、「救急車を呼んでください」】

 65歳になった今も真っ黒に日焼けし、元気そのものに見える谷口だが、昨年1月には病魔に襲われている。子どもとの釣りの休憩中、左手でゴミを拾おうとすると、その指先に異変を感じた。谷口はおかしいなと思ったその時点で「これは脳梗塞だ」と自己判断し、近くにいた人に「救急車を呼んでください」と声をかけた。迅速な対応が功を奏し、20日間ほど入院したものの、後遺症は残らなかった。なぜ谷口はすぐに脳梗塞だと判断できたのだろう。

「不思議ですが、直感でそう思ったんです。私は走り始めてから常に自分の体に向き合い、若い頃から体のちょっとした変化や変調にすぐに気がつくようになっていました。脳梗塞になった時も、若い頃に身につけた"異変への察知力"が生かされたのかなと思います」

 今もランニングは継続している。現役時代にはなかった厚底のシューズを履き、大会ゲストとして市民ランナーと一緒に走ることもある。「もう速くは走れないですけど、そのへんを走るのは問題ないです」と笑顔を見せる。

 谷口にとって、マラソンとはいったい何だったのだろうか。

「昔と今とでは、食事とかサプリとか練習メニューとかシューズとか、いろいろなものが変わりました。でも、マラソンに勝つためには、しっかりと練習をしないといけないですし、我慢したり、犠牲にしなければいけないことは、ずっと変わっていない。自分の体を使い、自分の体をどうコントロールするのかという、マラソンに重要なテーマや楽しさは変わっていないと思うんです。

 自分の体と向き合うことでいろいろなものが見えてくる。それで私の命も救われましたし、五輪をはじめ、いろいろな経験をさせてもらいました。25歳の時にマラソンをやると決断したことは間違いじゃなかった、よかったなと思いますね」

(文中敬称略)

谷口浩美(たにぐち・ひろみ)/1960年生まれ、宮崎県南郷町(現日南市)出身。小林高校では全国高校駅伝に3年連続出場し、2、3年時は同校の2連覇に貢献。日本体育大学では2年時から3年連続で箱根駅伝の6区を走り、いずれも区間賞を獲得(3、4年時は区間記録を更新)。旭化成に入社後は主にマラソンで活躍し、1991年の世界陸上東京大会で金メダルを獲得したほか、1992年バルセロナ、1996年アトランタと二度のオリンピックにも出場。1997年に現役を引退すると、実業団や大学での指導を経たのち、2020年3月まで地元の宮崎大学の特別教授を務める。マラソンの自己最高記録は2時間7分40秒(1988年北京国際)。

著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。近著に「箱根5区」(徳間書店)。

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