「外車の足回りですよ」原晋監督がその足さばきを絶賛した森田歩希 いま振り返る青学大黄金期の強さの理由 (2ページ目)
【マネージャーの力と選考の透明性】
森田歩希は現在、立ち上がって間もない新部署で忙しい日々を送っている photo by Murakami Shogo 青学大の場合、監督のビジョンを実行するうえで、学生が活躍する領域が大きい。
「青学がすごいなと思うのは、マネージャーの力です。練習メニューは設定タイム含めて監督がすべて決めますが、監督は忙しいので、練習は学生が運営することになります。監督は『今日の練習、どうしましょう?』と聞かれるのが嫌なので、マネージャーは監督から提示された練習メニューの意図、選手個々の状態、天候などを考慮して、その日のスケジュールを組み立てます。それを監督に提案して承認をもらう流れが日常的だったので、相当、力がつくと思います。同期の主務の小野塚(久弥)、マネージャーの木村(光佑)はいい仕事をしていたと思います」
そしてもうひとつ、森田が青学大の強さとして挙げたのが「選考の透明性」だ。実力者ぞろいの青学大でメンバーをつかむのは並大抵のことではない。実際、森田の1年後輩で、9月に東京で行なわれる世界陸上選手権のマラソン代表に選ばれた吉田祐也(GMO)は、3年生まで箱根の16人のメンバーには入れても、実際に走る10人には手が届かなかった。
「選考でゴタゴタするのは見たことがなかったです。夏合宿が終わってからの学内タイムトライアル、出雲(駅伝)に全日本(大学駅伝)、11月は世田谷246ハーフ(マラソン)が重要なレースで、最近はそこにMARCH対抗戦が入ってきてますよね。大事なレースだということが共有されていますし、最終的にメンバー外になったとしても、スタッフからの説明、フォローは手厚いです」
選考基準が示され、説明責任がしっかり果たされている。そして競争を勝ち抜くために必要な学生たちの「規律」も不変だ。
「青学は外泊もできませんし、門限にも厳しい。僕が入学する前ですが、東日本大震災の時でさえ、例外は認められなかったくらいですから、徹底しています。
なので、みんなは電車が遅延することも想定して、門限の1時間前までには、最寄りの町田駅に着くようなスケジュールで動いていました」
森田は4年でキャプテンとなった。出雲、全日本を勝ち、三冠と5連覇がかかった2019年の箱根駅伝、3区を走った森田は区間賞の走りで先頭に出る。原監督も「あの時は優勝を確信しました」と話すほどだったが、4区、5区で失速し、総合2位に終わった。
「あの時は、まさかという感じでしたけど、同級生とは今でも仲がいいですね。僕が『集まろうぜ』と声をかけるタイプではないので(笑)、頻繁に会うわけではないですが、4年間、一緒に過ごした仲間は大切です」
2019年4月、森田はGMOインターネットグループ株式会社に入社し、競技を継続する。
そして今年2025年に引退するまで、何があったのか?
つづく
●Profile
もりた・ほまれ/1996年6月29日生まれ、茨城県出身。御所ケ丘中(茨城)―竜ヶ崎一高(茨城)―青山学院大―GMOインターネットグループ。中学3年時に5000mで当時の日本中学最高記録(14分38秒99)をマークし、高校時代はケガに悩まされる期間も多かったが、青山学院大に入学すると2年次から主力として台頭。三大駅伝のデビュー戦となった全日本大学駅伝では6区区間賞を獲得しチームの優勝に貢献すると、箱根駅伝では4区区間2位、3年時に2区区間賞とチームの3、4連覇に貢献。4年次には主将を務め、出雲駅伝、全日本の二冠、総合2位となった箱根では3区を区間新記録で区間賞を獲得した。卒業後にGMOインターネットグループ株式会社に入社し、トラックを中心に競技を継続。2024年度を持って現役引退を表明。現在は社業に専念し、GPUクラウドのマーケティングと営業を担当する(GMO GPUクラウド商材サイトはコチラ https://gpucloud.gmo/)。
著者プロフィール
生島 淳 (いくしま・じゅん)
スポーツジャーナリスト。1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る一方、歌舞伎、講談では神田伯山など、伝統芸能の原稿も手掛ける。最新刊に「箱根駅伝に魅せられて」(角川新書)。その他に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」(文春文庫)、「エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること」(文藝春秋)など。Xアカウント @meganedo
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