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「青学大箱根駅伝4連覇」戦士・森田歩希が振り返る実業団へのシフトチェンジの難しさとGMOで第2の人生を踏み出した理由 (2ページ目)

  • 生島 淳●取材・文 text by Ikushima Jun

【「社会人へのトランジションは長距離選手にとってはチャレンジ」】

コロナ禍、厚底シューズへの適応など、実業団時代は苦戦する要素も多かったという photo by AFLOコロナ禍、厚底シューズへの適応など、実業団時代は苦戦する要素も多かったという photo by AFLO「振り返ってみると、マラソンで代表になるだとか、オリンピックに出るんだという明確なビジョンを描けていなかったと思います。社会人に入ってからのトランジションがコロナの影響もあってうまくいかなかった面もありますが、大学から社会人へのトランジションは長距離選手にとってはチャレンジだと思います。

 高校から大学へのトランジションは、どんな色にも染まれます。高校時代は時間も限られていて、指導する先生方の作るメニューをこなすことに注力する。大学ではそのベースに色づけがされます。僕としては、青学のスタイルには溶け込めて、スムーズに移行できたと思います。

 ここからは一般論になりますが、大学から社会人のほうが適応しなければいけない要素が増えると思います。そこでうまくハマれば競技成績が伸びるし、苦戦する場合もあるのかなと」

 森田の見立てでは、実業団で競技を続けられるのは大学時代に一定の競技結果を残したうえで、自分のスタイルをある程度、確立している選手である。実業団で競技を続ける場合、生活面を含め、新しい方法へ適応するのによりパワーが必要になり、社会人への移行は、想像以上に難しいという。

 そしてもうひとつ、適応しなければならなかったのが「厚底シューズ」だった。

 ナイキが厚底シューズを発表したのが2017年。設楽悠太(Honda、現・西鉄)が東京マラソンで日本記録を更新したのが2018年2月。そして箱根駅伝にその波が押し寄せたのが2019年、ちょうど森田が4年生の時で、この大会でナイキの占めるシェアは41.3%に跳ね上がった(前年は27.6%)。

「大学4年の箱根では薄底で走っていました。社会人1年目にガーッと広まって、2020年のニューイヤー駅伝を走った時には、かなりの手応えだったのに、3区で区間7位止まりだったんです。ああ、これは厚底の影響もあるなと思ったんですが、僕自身はその後、うまく適応できませんでした。やっぱり、子どもの頃の接地のタイミング、感触が記憶されているんですよ」

 2020年代に入って、大学時代から厚底に慣れ親しんだ選手たちが社会人となり、森田たちの世代は突き上げを食らうことになる。

「その意味では、厚底の狭間の世代でしたね」

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