パリオリンピック女子100mハードル 日本記録保持者・福部真子が肌で感じた大舞台の尊さと世界トップクラスの壁 (2ページ目)
【オリンピックでの経験はどの方向へ】
福部自身初の日本記録更新を果たした2年前の世界選手権は、コロナ禍での開催で、現地に行っても陽性反応が出て出場できない選手もいた。そのため、予選はスタートラインに立てたことを安堵する気持ちで走り、準決勝は「これでもう終わり。力を出し切ろう」という気楽な気持ちで挑めた。
だが、今回のオリンピックは「12秒5を切ってファイナルに残りたい」と言い続けてきたこともあり、意地もあったが、世界の選手たちの姿勢に改めて衝撃を受けた。
「『ここで終わりたくない』という気持ちはありましたが、カマチョクイン選手などトップ選手ですら笑わないのを見ると、決勝に行きたいと言っていた自分が恥ずかしいくらいです。12秒2台(の自己記録を)持っていても、準決勝を突破するのは至難の業で確実ではないことは、顔を見たりアップの集中力を見てもわかりました」
ウォーミングアップのスタート練習でトップ選手が出す音は、日本の男子110mハードルの選手くらいだったという。「男子並みの選手と戦わなくてはいけないのか」とも思った。
「(田中佑美と)ふたりが準決勝に行けたのはいいことだけど、男子ハードルが世界と戦っているのを目の当たりにすると、進化と言っていいかわからないですね。私たちが自己ベストを出しても世界の決勝ラインに及ばないのが現実。どうやって日本の女子ハードルを男子ハードルレベルまで引き上げるかと考えると、今回は現実を見たというか、何をとっても劣っているなと思いました」
初めて経験したオリンピックは最高の舞台であり、競技者が最も目指すべき場所であることを肌で感じたという。そこに4年間の人生を賭けてやるからこそ、その人たちにしか感じられないものを得られる。人生の中でも大きな価値がある舞台を経験したからこそ、次の人たちにそれを伝えていくのが自分の役割、とも考えているが、思いは逡巡する。
「オレゴン(世界選手権)の時はもう一回世界にアタックしたいと思った自分がいたけど、今回は走る前から『もしかしたら自分がオリンピックを走るのは最後かもしれない』と思っていました。そのくらいにオリンピックへの切符をつかむのは大変だったし、4年後も万全な状態で挑めるかと言ったら確実ではない。6月に紫村仁美さん(リタジャパン・33歳)が11年ぶりに自己ベストを出して『ここまで頑張れるんだ』という気持ちを周りに与えていたので、私も与えたいなと思っているけど、反面......という感じですね」
大きな衝撃を受けたパリ五輪。福部は、一度冷静になってから次を考えると話す。納得しきれなかった気持ちは、どの方向に向かっていくのだろうか。
プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
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