北口榛花の原点 「やり投」に誘った高校時代の恩師の指導と「最初の約束」とは

  • 寺田辰朗●取材・文 text by Terada Tatsuo

旭川東高校時代の北口榛花。やり投での才能はすぐに開花した photo by 時事通信旭川東高校時代の北口榛花。やり投での才能はすぐに開花した photo by 時事通信

 女子やり投で日本の投てき種目、フィールド種目で歴史的偉業を次々と成し遂げ続けている北口榛花(JAL)。昨年の世界陸上で初の金メダリスト、世界の強豪が集うダイヤモンドリーグの年間女王となり、記録面でもシーズン世界ランキング1位と文字どおり世界のトップスロワーに。そして迎えるパリ五輪では自他共に大きな期待がかかる。今回から4回に渡り、その北口の成長を直近で見てきた人たちの証言をもとに、これまでの歩みを振り返っていく。

 第1回は、北口をやり投へと誘った旭川東高校時代の恩師・松橋昌巳氏の話を中心に紹介する。

「北口榛花」目撃者たちの証言 第1回

【人生初やり投は34m13。1カ月後にはプラス10m】

 女子やり投の金メダリストに上り詰めた北口榛花の記念すべき、人生初のやり投第1戦は2013年5月5日、道北記録会第2戦兼国民体育大会道北地区予選会だった。旭川東高1年の北口は34m13で2位という成績を残している。日本のトップ選手たちは初競技会で40m前後を投げる、と聞いたことがある。北口がマークした34m13という記録は、前年(2012年)の日本高校ランキングでは486位相当。特別、すごい記録ではなかった。

 昨年、北口が投げた日本記録は67m38で、シーズン世界1位。10年をかけて約2倍の距離を投げるまでになり、世界の金メダリストにもなった。

 やり投は、中学の陸上競技では実施されていない。中学時代に砲丸投を行なっていた選手が高校に入ってやり投に転向するケースもあるが、他種目や他競技からの転向組も多い。北口もそのひとりで中学では陸上競技をしていなかったし、高校1年時も競泳と陸上競技のふたつを掛け持ちしていた。

 初戦から1カ月後のインターハイ北海道予選では、45m25に記録を伸ばして優勝している。前年の高校ランク32位相当までレベルアップしたあたりは、北口のその後の活躍を予感させる結果だった。

 当時、旭川東高陸上競技部顧問だった松橋昌巳氏は北口を指導した日々を、昨日のことのように覚えている。

「当初は砲丸投、円盤投と3種目で試合に出ていましたが、やり投以外は全国大会出場資格を取れなかった。自然とやり投が専門になっていきましたね。小学校時代にバドミントン団体で全国優勝もしています。ラケットを振る感覚に一番近い投てき種目なので、本人も適性を感じたのだと思います」

 松橋氏は陸上競技の名門・筑波大出身で当時58歳。国体入賞者やインターハイ北海道大会優勝者を何人か育成してきた。

「長くやってきたら"見えるもの"があります。この選手がこうやったらこうなるだろう、と。北口が高校を卒業する頃には(世界大会の)メダルまでいけると思いましたし、高校1年でやりを投げ始めた頃には高校日本一になると感じました。高校記録は当時も結構レベルが高くて(57m31=佐藤友佳、2010年)、そこまではどうかな、と思っていましたけど」

 だが高校1年シーズン前半の北口に松橋氏は、『やり投をやりなさい』とは強く言わなかった。

「どんなにその子の未来が開けていても、最終的にはその子の気持ち、意思を尊重すべきです。私も若い頃は、少し強引に勧めたこともありましたが、当時はあくまでも本人が決めるべきだと考えていました」

 これは松橋氏の教育者としてのスタンスであり、さらに、ある約束を北口としていたからでもあった。

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著者プロフィール

  • 寺田辰朗

    寺田辰朗 (てらだ・たつお)

    陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に124カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の"深い"情報を紹介することをライフワークとする。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。「寺田的陸上競技WEB」は20年以上の歴史を誇る。

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