北口榛花の原点 「やり投」に誘った高校時代の恩師の指導と「最初の約束」とは (3ページ目)
【やりを投げなくても成長できる】
最終的なきっかけは、10月の日本ユース選手権(現・U18日本選手権)で49m31と自己記録を大きく更新し、3位に入ったことだった。
「競泳は全国大会に行けなかった。3年やったらインターハイに出られたかもしれませんが、やり投は1年目からインターハイに行き、日本ユースでは全国3位に入ることができたんです。陸上部の練習はウォーミングアップをやって、やりを何回か投げたら終わり。どんなに集中しても大した練習はできないのに、全国レベルの結果が出始めていた。やり投のほうが上に行けると感じたのだと思います」
高校1年時の2013年9月、東京五輪の開催が決まった。松橋氏は「あなたが出るべき大会、絶対に出られる、という話を9月にしていました」と言う。
「(北口は)えっ、という反応でした。そこまで行けますか? という雰囲気でしたね。最終的には10月の日本ユースのあとに水泳をやめる決断をしたと思いますが、夏休みは水泳の合宿に行っていた。しかし夏のインターハイも出場し、気持ちはやり投に向きかけていたはずです。9月は気持ちが揺れ動いていたと思いますよ」
冬期練習はやり投がメインになった。旭川の冬は雪でグラウンドが使えないことも多い。体育館使用は各部交替制のため、週に1回くらいしか使えない。
「除雪したスペースに人工芝を敷き、人工芝の上でダッシュやハードル、ミニハードルなどのメニューをしていました。体育館を使えるときはバドミントンでウォーミングアップをやって、ハンドボール投をやり投の練習で投げました。やりと同じような感覚で投げないと、ハンドボールも遠くに飛びません」
北海道出身の陸上選手からは、女子では短距離の福島千里や100mハードルの寺田明日香(ジャパンクリエイト)、400mハードルの久保倉里美、男子では110mハードルの金井大旺、走幅跳の城山正太郎(ゼンリン)、円盤投の堤雄司(ALSOK)、十種競技の右代啓祐(国士クラブ)ら、日本記録を出した選手が多数生まれている。短距離の高平慎士と小池祐貴(住友電工)は世界大会の4×100mリレーのメダリストだ。
「広い場所でやりを投げたほうがいいことは当然あるが、北海道で冬に投げられなくても、それに替わることや、それに近いことはやろうと思えば山ほどできます。1年時の49m31が2年時には53m15まで伸びました。3年時には58m90(の高校新)。フィンランドに行ったり合宿に行ったりはしていますが、それは一時期でのこと。やり投げにつながる要素を道内でも地道にやれば、大きなハンデとは思わないですね」
北口は2019年以降チェコを拠点にトレーニングを行なっているが、チェコでの冬期練習もやりはほとんど投げない。高校時代に冬期はやりを持たなくても問題ないことを実感していたから、チェコのやり方に不安を感じずに済んだのかもしれない。
北海道の先輩たちに続くべく、北口も高校2年時に全国を制するまでに成長していった。
つづく(第2回は7月3日配信予定)
【Profile】北口榛花(きたぐち・はるか)/1998年3月6日生まれ、北海道出身。旭川東高校→日本大学→日本航空。小中学時代はバドミントンと競泳に打ち込み、高校入学後にやり投を始めると、競技歴3カ月でインターハイに出場。その後、成長を続け、翌2014年にインターハイ優勝、2015年には世界ユース選手権で日本女子の投擲種目で初の金メダルを獲得した。2019年には初めて日本記録を更新し、東京五輪では6位入賞。2022年オレゴン世界陸上選手権では3位となり、女子のフィールド種目では五輪・世界陸上史上初のメダリストに。そして翌23年ブダペスト世界陸上では最終6投目で逆転優勝を決め、同史上初の金メダリストになった。
著者プロフィール
寺田辰朗 (てらだ・たつお)
陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の"深い"情報を紹介することをライフワークとする。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。「寺田的陸上競技WEB」は20年以上の歴史を誇る。
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