北口榛花の原点 「やり投」に誘った高校時代の恩師の指導と「最初の約束」とは (2ページ目)

  • 寺田辰朗●取材・文 text by Terada Tatsuo

【1年時秋までは競泳の練習と半々】

北口の高校時代の動画を見る松崎氏 photo by 寺田辰郎北口の高校時代の動画を見る松崎氏 photo by 寺田辰郎 北口の母親はバスケットボールの実業団選手だった。スポーツを積極的に行なう家庭環境だったのだろう。小学生時代にバドミントンと競泳に取り組み、バドミントンは団体戦で全国優勝も果たした。中学校でも両競技を行ない、北口は競泳の全国大会に出場していた。

 旭川東高は進学校で、陸上競技は強豪といえるほどの高校ではなかった。全国レベルの中学生を勧誘して入学させることはなく、北口も勉強をメインに考えて進学した。

 その北口が陸上部に入ったのは、「森のおかげですね」と松橋氏。中学校のバドミントン部の1学年先輩だった森菜々穂さんが高校では陸上部に入り、北口とは幼稚園から同級生だった尾形(旧姓・朝倉)由香さんらも含め、周囲の人間が北口を陸上部に誘った。

 そして松橋氏も、森さんから話を聞いて北口に声をかけた。

「森がきっかけを作ってくれました。後輩にすごい子がいるから陸上をやらせたいと。一度会って話をしてみました」

 北口も人から頼み事をされたら断れない性格だったようだ。そうして将来の金メダリストが陸上競技を始めたが、競泳も続けることを松橋氏は認めた。北口のなかでは競泳への気持ちのほうが大きかった。

「中途半端になるかもしれないけど、それでもいいから陸上もやってみたら、と勧めました。両方やることを認めることを前提に勧誘したんです」

 旭川東高には水泳部がなく、北口は陸上競技部の練習を17時半まで、高校から市内のクラブに移動して競泳の練習を行なった。

「陸上部の練習に最後までいたら間に合いませんでしたから。陸上の大きな大会の前は陸上の練習に専念して、逆のケースは水泳に専念した。夏の合宿は水泳のほうに行っていました」

 8月のインターハイは43m42で予選落ち。やり投を始めた当初の勢いがなくなっていた。松橋氏にはやり投に絞ってほしい気持ちはあったが、「それが最初の約束でしたから」と説得しなかった。

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