箱根駅伝の特殊性と勝負勘 駒澤大・藤田敦史監督が語る反転攻勢「今度はうちが」 (3ページ目)
【今季得た課題と自信を胸に来季は挑戦者として】
――これからも、今までの育て方のようにトップクラスの選手には世界を見させながら、箱根を戦うというスタイルは継続していくことに変わりはない。
「そこはブレることはないですし、箱根だけっていう考え方はしたくないですね。私自身が学生時代から、箱根だけではなくその先のマラソンも考えた強化ということをしっかり準備してやってきていたので。それが一番の駒澤のよさだと思うので、簡単に変えてしまったら何もならないと思います。ただ、その中でも(駅伝で)勝たせてあげられるだけのノウハウであったり、練習をこれから工夫してやっていかなければと考えています」
――強いチームをいきなり預かってプレッシャーが大きかったと思いますが、出雲と全日本は勝てて、指導者としての手応えも感じたのではないですか。
「今回、3つの駅伝すべてをやらせてもらって、ある程度、自分の中での感覚はわりとつかむことができたので、今度はいろんな工夫も必要になってくると思います。今季は総体的な選手層があったので1年目の私でもやれていた部分もありますが、これから4年生がゴソッと抜けて選手層が薄くなった時にどう作り込んでいくか。手腕が問われますね」
――今年は1年生を使っていませんでしたが、使いたかった選手もいるのでしょうね。
「能力の高い選手はいるし使いたかった選手もいます。今年度でいえば4年生が圧倒的に成長していたので、1年生に関してはわりとじっくり育てられました。選手層が薄かったら春からある程度距離を踏ませて作り込まないといけませんが、4年生がいたので作り方の発想を少し変えて、"そんなに距離を走らなくてもいいよ"というところからスタートした。逆に育成を1年間じっくりできたので、2年生になってから少し質を上げれば何人かは出てくると思います」
――いきなり勝ちを宿命づけられたような感じだったので、翌年に備えてという試みもなかなかできないですね。
「やっぱり勝たせないといけなかったので、今季は来シーズンのための布石を打つようなことはできなかった。勝負に徹するしかなかったです。ただ、逆に言ったら1年間体力をつけさせて2年目から勝負させた方が、その後で伸びるかなという考えもあります。若い子は叩けば伸びるけど、叩き過ぎると上級生になった時に疲弊しちゃうので、そこはじっくりやったところがありますね。重要なのは、これからの1年でしょうね。今の1年生がひとりでもふたりでもどこまで上がってくるかというのと、今回悔しい経験をした2年生、圭汰も山川もも伊藤も帰山侑大(2年)、全員、悔しい思いしているので、次にどういうふうに変わっていってどう自覚を持つかですね」
――出雲と全日本が圧勝だったから、箱根はすごいプレッシャーだったでしょうが、負けたことでまたゼロからいけます。
「そうですね。箱根は負けたけど、出雲と全日本は連覇することはできたので、そこは自信にしていいかなと思います。あとは1年間やってきた自分の中での課題や工夫が、これからの1年出せればいいなっていうところですかね。チームとしても篠原と佐藤がやっぱり柱になるべきだから、ある意味、出雲は絶対に勝ちに行かないといけないと感じています。負けたままでいられないし、もし出雲を青学に取られるようなことがあると、下手したら3冠をやられる可能性も十分ありますから」
――箱根を考えると、今回活躍した黒田(朝日)選手と太田(蒼生)選手が残る青学大は強力ですね。
「あの二枚が残るだけでもすごいのに、2区もいて3区もいて山もいてとなると、相当強いです。ただ、実際に戦力はあっても当日ピタッと合わせられるかというのは、やってみないとわかりません。あれだけの戦力がいるから、次は逆にうちの方が挑戦者として行ける。今回、原監督がやったように、"黒田と太田を抑えれば勝てる"みたいなことを是が非でもやりたいなと思いますね」
【Profile】藤田敦史(ふじた・あつし)/1976年、福島県生まれ。清陵情報高(福島)→駒澤大→富士通。1995年に駒澤大に入学。前監督の大八木弘明(現・総監督)の指導の下、4年連続で箱根駅伝に出場。4年時には箱根4区の区間新記録を樹立。1999年に富士通に入社し、2000年の福岡国際マラソンで当時の日本記録をマーク。世界選手権にも2回(1999年セリビア大会、2001年エドモントン大会)出場。現役引退後は、富士通コーチを経て、2015年から8年間、駒澤大のヘッドコーチを務める。2023年4月に駒澤大監督に就任し、1年目は出雲駅伝、全日本大学駅伝で共に優勝。箱根駅伝は総合2位。
著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
【写真】ペンでも応援! 駒大スポーツ新聞「コマスポ」編集部
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